バックネットに向かって打撃練習する選手たち
■選抜高校野球 話題校
2月21日午後4時。中村の選手たちが慌ただしくグラウンド脇の部室に駆け込んできた。素早く制服を脱いでユニホーム姿に。各自で体を動かし始めた。
40年前、二十四の瞳旋風 中村、今回も小所帯で選抜へ
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ホームルームが終わったのは5分前の3時55分だ。「貴重な火曜日ですから」と横山監督。他の運動部と共用するグラウンドが全面使えるのは火、木曜日と週末だけ。16人の選手たちは昼休みにグラウンドを整備し、バント練習用のマシンもセット。1分でも練習時間を確保しようと必死だ。
高知市内から西に車で約2時間半の旧中村市に学校はある。現在の市名でもある清流・四万十川が流れるこの地が熱狂したのは、初出場だった40年前の選抜大会。後にプロ野球阪急で活躍するエース山沖を擁し、選手12人で「二十四の瞳」と呼ばれたチームがどんどん勝ち進んだ。
準優勝の快進撃。市街でのパレードには3万人が訪れたと言われる。学校OBの松岡勲さん(72)はその光景が忘れられない。野球部出身ではないが「あの感動をもう一度」と2001年に「中村高校野球部を支援する会」を設立。有志でポケットマネーを出し合い、打撃練習用マシンや遠征用のバス、ボールなどを提供してきた。
「応援には本当に感謝している」とはエース北原。完全下校が夜7時半と決められているため、選手たちは「自宅で1日1千スイング」など課題を決め、短い練習時間を個々で補う工夫をする。近くに学校が少なく、どこへ練習試合に行くにも2時間以上かかるが、移動のバスでは相手チームの映像を見たり、その日の反省点を言い合ったりして、車中では寝ないと決めている。
その成果が強豪の明徳義塾を2―0と破った昨秋の県大会決勝だ。地域とチームが一体となってつかんだ、21世紀枠での40年ぶりの甲子園。「一つひとつ勝って地域に恩返ししたい」という北原の言葉は、心の底から出たものだ。(山口史朗)