福島県楢葉町出身の赤間謙=京セラドーム大阪
オリックスに福島県楢葉町出身の投手がいる。2015年秋のドラフト9位で入団した右腕の赤間謙(26)だ。東日本大震災で実家が被災し、感じたことは「野球ができるのは当たり前じゃない」。それは6年経っても薄れることはないと話す。
特集:あのときの、ラジオ
特集:被災地にエール! ふるさと納税
特集:3.11 震災・復興
楢葉町出身の初のプロ野球選手となった赤間は中学まで町で育った。東海大山形高を経て東海大に進み、震災が起こったときは東海大野球部の沖縄キャンプに参加していた。だが、東京電力福島第一原発のそばにある実家は半壊。原発事故により、家族は避難を余儀なくされた。その後、実家は解体され、今も父は福島県いわき市内の仮設住宅、母は千葉県内で避難生活を続けている。
赤間が楢葉町に初めて戻れたのは、避難指示が解除された後の2015年12月。社会人野球の鷺宮製作所で実績を残してプロ入りが決まり、町への入団報告を兼ねて帰郷した。野球を始めた思い出の地だったが、「人がいないし、草が生え放題。景色が全く違った」。様変わりした様子に驚き、そして誓った。「活躍して町の人を喜ばせる」と。
1年目の昨季は主に救援で24試合に登板し、0勝1敗、防御率3・09。今季は「50試合の登板が目標。どんな役割でも一生懸命やってチームの勝ちに貢献したい。町のためにという思いも変わらない」と話す。そしてもう一つ、新たに芽生えた思いがある。
オフには、日本野球機構が福島の小学生を対象に、いわき市で開いた運動教室に参加した。子供たちと一緒に綱引きなどをして体を動かし、「みんな楽しそうで、逆に元気をもらった。地元でも野球教室を開いてみたい」。実現するためにも勝負の2年目になる。(藤田絢子)