広告で「赤い血潮のフラッシャー」とうたった日米富士自転車のエスパトロン5(自転車文化センター提供)
「暗黒星雲を切りさく 超ド級フラッシャー」「右折、左折で差をつけよう」「ボクのは8灯だ!」「赤い血潮のフラッシャー 熱き想(おも)いをふり捨てて 男十四の帰り道」
1970年代から80年代にかけて、こんなキャッチコピーをつけた雑誌広告が、少年たちの目を釘付けにした。
ジュニア用スポーツ自転車の後部で、派手な方向指示器がビカビカと赤やオレンジの光を放って点滅する。「電子フラッシャー付き自転車」は、憧れの存在だった。
最初は左右を示すだけの簡素なものだった。自転車文化センター(東京)によると68年、日米富士自転車(当時)の発売がきっかけとされ、各社が相次いで製品化して、ブームに火が付いた。
同センター学芸員の谷田貝(やたがい)一男さん(65)は、当時の社会背景を、こう分析する。
東京五輪があった64年ごろか…