人質事件があった日本大使公邸跡地には、敷地を取り囲む白い外壁が当時のまま残されている=22日、リマ、田村剛撮影
日本人ら72人が127日間にわたって左翼ゲリラに拘束されたペルー日本大使公邸人質事件の武力突入から、22日で20年を迎えた。現場となった首都リマの日本大使公邸跡地は、現在も建物が取り壊されたままの更地の状態が続く。門に弾痕がある外壁は当時のまま残され、事件の生々しい記憶を伝えている。
高級住宅街にある公邸は事件後すぐに取り壊され、突入に使われた複数のトンネルもすべて埋められた。ただ敷地を取り囲む白い外壁は残され、木製の門に開いた複数の弾痕も当時のままだ。一時は敷地を記念公園にしようという声もあったが、すぐに立ち消えになった。在ペルー日本大使館によると、跡地はすでに売却されているという。
事件の間、世界中の記者やカメラマンが周囲の建物の上から公邸の様子を報じ続けた。当時の報道に加わり、22日に現場を訪れたペルーのテレビ局の男性カメラマンは「突入時は昼食で現場を離れていた。爆音を聞き、現場にいた運転手に大慌てで電話をし撮影してもらった」と混乱ぶりを振り返った。
事件は1996年12月17日夜に発生。左翼ゲリラのトゥパク・アマル革命運動(MRTA)が、天皇誕生日のレセプション中だった日本大使公邸を襲撃し、青木盛久大使(当時)や各国要人らを人質に取った。翌年4月22日午後(日本時間23日朝)に軍が突入。人質1人と特殊部隊員2人が死亡したが、71人の人質が解放された。ゲリラは14人全員が射殺された。(リマ=田村剛)