初めて開催されたスケートボードの日本選手権で、トリックを決める出場選手=23日午後、東京都足立区のムラサキパーク東京、関田航撮影
2020年東京五輪に向け、スケートボード界がはじめの一歩を踏み出した。23日、東京都内で初めて開かれた日本選手権は約60人の報道陣を含めた約300人が詰めかけ、立ち見が出るほどの盛況ぶりだった。一方、五輪本番に向け、競技をいかに普及させるか、海外が主戦場の有望選手に五輪に振り向いてもらえるかなど、課題も多い。
東京五輪へ初のスケボー日本選手権 代表候補10人決定
米国などから、国際連盟関係者も見守った日本選手権。「彼らもここまで日本がちゃんと(大会運営)できるとは思ってなかったんじゃないですか」。日本ローラースポーツ連盟の宮沢武久・スケートボード委員長は安堵(あんど)の表情を見せた。
3年後の東京五輪では、「ストリート」と「パーク」の2種目を実施するが、今回は、ストリートのみの競技会。選手らは東京都足立区のムラサキパーク東京に設置された手すりや坂を使って、制限時間の1分を思い思いに滑り、技の難度や独自性を競った。
■9割以上が10代の選手
五輪の既存競技と比べ、際立ったのが「若さ」だ。男女63人のエントリーのうち、60人が10代。決勝に進んだ29人(女子は決勝のみ)の平均年齢は14・7歳だった。その中でも、高難度の技を次々と繰り出して会場をわかせた16歳の池田大亮(ムラサキスポーツ)が男子を、15歳の西村碧莉(あおり、同)が女子を制した。
「実力を出せば勝てると思っていた。日本では勝ち続けたい」。池田がこう話すのには理由がある。
世界最高峰の「Xゲーム」など、海外の賞金大会を主戦場とする瀬尻稜、堀米雄斗らは遠征中で、日本選手権には出場しなかった。上位10人が参加する6月の強化指定選手候補の合宿にも彼らは参加しない。
池田自身も五輪は「通過点」と言い切る。「目標はアメリカのストリートリーグで1位をとること。名前を売るためにも、呼ばれればできるだけアメリカの大会の方に出たい」という。
■「国を背負う」難しさ
若者の「五輪ばなれ」を回避したい国際オリンピック委員会(IOC)の意向もあって、東京五輪の追加競技に決まったスケートボードだが、もともと「国を背負って戦う」という概念がないため、この競技が、五輪にすんなりなじむかは未知数だ。国際的な統一ルールもなく、過去に世界選手権の開催実績もない。
選手は賞金やスポンサーが集まる本場・米国の試合にむしろ目を向けており、日本スケートボード協会の横山純事務局長は「彼らは日の丸をつけなくても世界を相手に戦う。そこに『代表』という感覚があるかは難しいところ」と話す。
おわん形のコースを滑る「パーク」は現時点で試合ができる会場が国内にない。連盟はパークの日本選手権も開催したかったが、「来年以降に」と断念した。
9月には中国・南京で初の世界大会が開かれる予定だが、正式な日程や派遣する選手の人数はまだ連盟に通達がなく、強化合宿の日程も定まらない現状だ。
宮沢委員長は「五輪に向けてやった大会ということで意義はある。これを第一歩として進んでいきたい」。(照屋健)
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〈スケートボード〉 車輪がついた一枚の板に立って乗り、技(トリック)の難易度やスピード、独自性などを競う米国発祥のスポーツ。2020年東京五輪で追加競技に採用された。斜面を複雑に組み合わせたコースの「パーク」、街中の階段や手すりを技に利用することに由来する「ストリート」の2種目を実施。会場は東京・お台場の予定。