直木三十五
文学賞「直木賞」に名を残す作家、直木三十五(さんじゅうご、1891~1934)の手紙が見つかった。朝日新聞の学芸部記者にあてたもので、新聞に連載した小説の原稿料や著作権が借金のカタに差し押さえられることを心配する内容。人気はあったが金遣いも荒かった大衆作家の日常がうかがえる資料だ。
手紙は大阪朝日新聞学芸部、白石凡(ぼん)記者宛ての速達便。「小生の負債甚だ多く」と切り出し、「或(あるい)ハ著作権差押(さしおさ)ヘがまいるやもしれず」「もし稿料差押へが行ったなら全額支払(しはらい)済みと云(い)って下さるか」などと頼んでいる。
手紙は東京在住の男性が30年ほど前に古書店で入手し、保管していた。封筒の消印からは、昭和7(1932)年2月17日の日付が読み取れる。幕末の薩摩藩で起きたお家騒動をテーマにした代表作「南国太平記」を書いて一躍人気作家となってからまもない頃で、このとき直木は41歳。ちょうどこの時期、朝日新聞夕刊で連載小説「明暗三世相」の執筆を始めている。
直木三十五記念館(大阪市)事務局長の小辻昌平さん(53)は「押しも押されもせぬ人気作家になって、どんどん書いていた時期。普通なら金がないはずはないが、直木のお金の使い方は常識外れだった」。直木は新しいものが好きで、当時珍しかった自家用車を共同で所有していた。酒が飲めないのに料亭に通い、女性にも派手に金を使ったと伝わる。
手紙の末尾では、連載小説につ…