前橋育英に敗れ、グラウンドに一礼する明徳義塾の山口海斗主将(左)=細川卓撮影
(16日、高校野球 前橋育英3―1明徳義塾)
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明徳義塾の選手たちは馬淵監督に甲子園50勝目をプレゼントできなかった。負けた瞬間、山口海斗(かいと)主将は三塁のコーチスボックスにいた。小さく声を発しながら、青空を見上げた。すぐに涙が出てきた。右手で両目を覆いながら、試合終了の整列に向かった。
取材スペースに来ても、山口は泣いていた。記者に声をかけられ、何とか涙をこらえて話し始めた。「日本一になるためにやってきたんで、2回戦で終わるのは悔しい。監督さんに記念のウィニングボールを渡して、このメンバーでもっと上までいきたかった。監督さんには『1年間を通じてキャプテンをさせてもらってありがとうございました』と伝えたいです」
山口は岡山県倉敷市出身。中学まで野球と水泳をやっていて、水泳で全国大会に出た。それでも高校では野球をやると決めていた。甲子園への憧れが強かった。だから水泳の試合にもバットを持って行った。空き時間を見つけては、試合会場でバットを振った。
しかし、名門明徳では歯が立たなかった。新チームになった昨秋、初めて背番号をもらい、キャプテンになった。ずっと外野手の控えで、サードコーチャー。この夏は10番を背負い、一度も出場機会がないまま終わった。「僕が出ることは、まずない。期待もしてなかった。だから、僕の力をみんなにあげようと思いました。試合に出る分の力で、ずっと声を出して、試合中の雑用も全部やって、伝令に行きました。みんなが打って、投げて、守る環境を整えるのが僕の仕事ですから」。まさにポジションはキャプテン、という男だ。
山口の最初の言葉にもあるように、明徳では最初に決まったキャプテンが翌夏の終わりまでやり通すのは珍しい。いろんな理由で、途中で交代させられるケースが多い。だが、山口はやりきった。
なぜ生き残れたか。山口は言う。「野球だけのキャプテンじゃなく、普段の生活から改革をしました。監督さんがそういうところをいつも見てくださっていたからだと思います」。昨夏の甲子園ベスト4を受ける形でキャプテンになった山口は「生活面を変えたら、ベスト4より上にいける」と考えた。寮生活の中で厳然として存在した上下関係をなくした。率先してゴミを拾い、あいさつをした。それが野球に少しでもプラスになれば、いや、プラスになると信じて、そうした。
「上下関係をなくすのはなかなか大変で、僕らが下級生のときはその流れのまま、一歩踏み出せずにきたんです。でも僕は、変える中で文句を言われたりしてしんどい思いをしても、甲子園で勝つという思いがあるのでやってこれました」。甲子園の2回戦で負けはしたが、この夏、その成果が少しでも出たのが、山口はうれしい。「2年生がすごく伸び伸びと頑張ってくれた」。つらい時期を思い出したのか、山口はまた涙ぐんだ。「できたら僕らの改革を受け継いで、監督さんをもう一度日本一にしてほしいです」
◇
試合後の取材時間が終わったあと、以前から明徳を取材している記者が山口君に右手を差し出しました。それを両手でギュッと握り返した山口君。すべてが終わったあとのすがすがしい笑顔が広がりました。握手を求めた記者の気持ちが、よく分かりました。自分のためでなく、みんなのために全力で1年を過ごした。こんな男はなかなかいない。私も今日が初対面でなければ、スッと手を出していたと思います。(篠原大輔)