大西将太郎さん=林敏行撮影
■甲子園観戦記 ラグビー元日本代表・大西将太郎さん
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みんなで決める「甲子園ベストゲーム47」
打席に向かう選手。ラグビーでプレースキックに向かう選手と同じものを感じます。
第2試合の九回、6点差を追う2死一塁で打席に向かう明豊の3番浜田君。2年生か。あの雰囲気、打ちそうやな――。あ、打った。なぜわかったか? アスリートとして感じるものがあったとしか言いようがない。ゆったりと自分の間合いで打席に入り、目の前のことだけに集中していた。
僕が2007年のラグビーワールドカップ(W杯)フランス大会カナダ戦で、日本の連敗を13で止めるキックを決めた時もそうです。あの時の心は「無」。右隅からの難しい角度でしたが、外したら負け、などと考えなかった。ベストを尽くし、結果を受け入れる覚悟ができていました。
実は高校も大学も社会人でも、メインでキッカーを任されたことはなかった。W杯直前に負傷者が出て、自分に出番が回ってきた。ただ事前の合宿から、プレースキックの練習は自主的にしていました。チーム事情を考えれば、ケガ人が出たら自分がやることになると予測していた。心も体も準備ができていた。
やるべきことをやったと自分を信じ、覚悟が決まれば大事な場面でバタバタすることはない。ラグビーに長年携わってわかったのは、どんな状況でも当たり前のことを当たり前にやれるチームが強いということです。
それを妨げるのは焦りやプレッシャー。母校・同志社大でコーチをしていた昨季は、防御を付けた練習を重視しました。相手がいるなかで、自分の努力を信じて冷静にプレーすることが大事なのです。
ゲームセット。いい試合でした。天理も明豊も小技をしっかり決めていた。大事な場面でやるべきことを確実にできるのは、鍛え上げられた成果です。
泣いている選手もいますね。いろいろな思いがあるのでしょう。僕は大阪・啓光学園高(現・常翔啓光学園)3年の時、全国高校大会決勝で愛知・西陵商(現西陵)にロスタイムで逆転負け。泣きました。当時は涙の理由はわからなかったけど、今思えば、優勝できなかった悔しさというより、この仲間とプレーするのはもう終わり、という悲しさだったのだと思います。
両校に大きな拍手が送られている。小学生の時以来、30年ぶりとなる甲子園での高校野球観戦でしたが、改めて素晴らしいと感じました。今、テレビ解説やクリニックなどでラグビーの普及活動をしています。19年W杯や東京五輪でも、甲子園のような雰囲気を作れたらいいですね。(構成・有田憲一)
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〈おおにし・しょうたろう〉 1978年、大阪府出身。ラグビー元日本代表。現役時代はワールド、ヤマハ発動機、近鉄などでプレー。07年W杯カナダ戦では終盤の同点ゴールで日本の連敗を止めた。