句集「あんこーる」
神戸市在住の俳人、後藤比奈夫(ひなお)さん(100)が今夏、15冊目の句集を出した。昨年、最後と銘打った句集を出したが、創作意欲は衰えないまま。ふと浮かんだ音楽会の演奏後をイメージしてつけた句集の題名は、「あんこーる」(ふらんす堂、本体2千円)だ。
1917年、大阪生まれ。現在は俳人協会顧問。柔軟で感覚的な作風の一方、機知に富んだ作品でも知られ、2006年に俳壇の最高賞といわれる蛇笏(だこつ)賞を受賞した。創刊70年近い句誌「諷詠(ふうえい)」の主宰も長年務めた。昨年1月に出した句集「白寿」が詩歌文学館賞に選ばれ、次の句集を期待する声が多く寄せられたという。「音楽会にアンコールがあるなら、句集にあっても許されるだろうと勝手に解釈しました」
4年ほど前から外出がままならなくなり、今年は心不全で3度入院したが、「生きている以上は俳句をつくりたい」と、旅行好きの知人に写真を見せてもらったり、もらった花から想像を膨らませたりして創作を続ける。
句集に収めたのは、2年前の夏から今年4月の誕生日までに詠んだ351句。「あらたまの年ハイにしてシヤイにして」は、今年の新年詠。自分で一度も使ったことのない言葉が頭に浮かび、周りの人からも驚かれた。100歳の誕生日には「百歳をクリアーしたる朝寝かな」と詠んだ。
昨年6月、肺がんだった長男の立夫(たつお)さんに72歳で先立たれた。「手を握り笑つて露の訣(わか)れとは」。亡くなる数日前、ベッドの上で横たわる立夫さんと握手をして別れた。ニコニコとしていた最後の顔が、今も脳裏に焼き付く。祭り好きだった立夫さんは「ころはよし祇園囃子(ぎおんばやし)に誘はれて」と辞世の句を残した。これに対して「戻り来よ祇園囃子が聞ゆるぞ」と詠んだ。
立夫さんは諷詠の主宰を引き継いで4年しかたっていなかった。「何も仕事ができないまま逝ってしまった。無念だったろう」
諷詠は孫の和田華凜(かりん)さんが引き継いだが、「まだまだ力不足。間違った方向に行かないよう、できる限りのことはしたい」と、比奈夫さんは今も全国で毎月70~80回は開催される句会の選者を務める。郵便で届く句を、毎日3時間近くかけて選ぶ。「100歳らしくしなさい、と娘には怒られますが、何も考えなくなったら終わり。先々の望みがないと、面白くない」
創作する句のうち、納得できるものは12行の原稿用紙に1行空きで記している。「すでに10枚ほどたまっているんです」と、次の句集の可能性もほのめかした。(渡義人)