8球団からドラフト1位指名をうけ、同僚にかつがれてガッツポーズをみせる新日鉄堺の野茂英雄投手=1989年
プロ野球のドラフト(新人選択)会議が、26日午後5時から、東京都内のホテルで開かれる。注目は高校通算111本塁打を放った清宮幸太郎選手(東京・早稲田実高)。複数球団が1位指名することが予想されているが、はたして何球団が指名するのか? どの球団が交渉権を引き当て、その瞬間、清宮はどんな表情をみせるのか? 「運命の1日」を前に、笑顔や落胆の表情に彩られたドラフトの歴史を振り返ってみる。
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第1回ドラフト会議が開かれたのは1965年11月17日。93年から大学・社会人選手を対象に逆指名制度が導入されるなど、方式は変遷してきた。2007年には「裏金」の問題が発覚して逆指名制度(希望入団枠)が廃止に。高校生と大学・社会人のドラフトが分離開催された時期もあったが、それも08年から統合され、現在の形となった。
これまで1位指名が最も競合したのは8球団。1989年の野茂英雄投手(新日鉄堺)と90年の小池秀郎投手(亜大)だが、2人のドラフトの結末は対照的だった。
88年ソウル五輪など全日本のエースとして活躍していた野茂は、「社会人でもう1年という気持ちもあった」という。そんな中で8球団が1位指名。最後の8番目に残りクジを引いた近鉄の仰木彬監督が、交渉権を引き当てた。野茂は史上最多の指名に「光栄です」と笑顔。プロに飛び込み、1年目から大活躍した。
一方の小池。東都大学リーグで奪三振記録(当時)を作った本格派左腕は、希望球団に西武、巨人、ヤクルトを挙げていた。しかし、交渉権を引いたのはロッテ。小池は暗然とした顔で「ショックです」。「自分が本当に燃えて仕事が出来ると思う球団を選ばせて頂きたい」と入団を拒否し、社会人の松下電器へ進んだ。ところが、社会人ではけがで苦しむことになった。小池は2年後、「どの球団でもOK」の姿勢で近鉄へ1位指名で入団した。
高校生として最多の7球団から1位指名された95年の福留孝介選手(大阪・PL学園高)も、希望球団は抽選で外れた。引き当てたのは、赤ふんどしを身につけて気合を込め臨んだ近鉄の佐々木恭介監督。しかし、中日か巨人への入団を希望していた福留は、入団を拒否して社会人の日本生命へ進んだ。アトランタ五輪で活躍するなど社会人で実績を残し、3年後に逆指名で当初の希望通り中日に入団した。
同じ高校のチームメートで明暗が分かれたのが、85年の「KKドラフト」だ。甲子園で大活躍したPL学園高の清原和博選手と、桑田真澄投手。清原には当時高校生最多となる6球団の1位指名が集中した。しかし、そこには「相思相愛」と言われた巨人の名前はなし。巨人は、早大進学を表明していた桑田を1位指名した。清原の交渉権を獲得したのは西武。学校で記者会見に臨んだ清原は、まさかの「裏切り」に涙した。
ドラフトでは多くのドラマが生…