18世紀、朝鮮通信使の船が長州藩の船に警護されながら今の山口県上関町に入港する様子を描いた「朝鮮通信使船上関来航図」(部分)=超専寺所蔵
日韓友好の歴史を伝える「朝鮮通信使」。古代における漢字や仏教の広がりを示す「上野三碑(こうずけさんぴ)」。「世界の記憶」に登録が決まり、後世に残そうと活動してきた団体などから、喜びの声があがった。一方、外れた「杉原リスト」の関係者らには落胆の色が浮かんだ。
日韓の友好を歴史に学ぶきっかけに――。朝鮮通信使の登録の朗報が届いたゆかりの地は喜びに沸いた。
江戸時代に朝鮮王朝から日本に派遣された外交使節団「朝鮮通信使」の「通信」とは、「信(よしみ)」を通わすという意味だ。政治的な摩擦が絶えない中、日韓が200年以上、平和を維持した。日韓の申請団体にはそんな歴史を知ってほしいという狙いがあった。
日本側のNPO法人「朝鮮通信使縁地連絡協議会」(長崎県対馬市)の松原一征(かずゆき)理事長は「両国の葛藤が続く21世紀の今こそ負の面だけでなく、朝鮮通信使をよみがえらせて手を結ぶことが大事。ここに登録の世界的な意義がある。今回はその第一歩だ」と喜ぶ。海運業を営む傍ら、運動の芽を育ててきた。資料の所有・管理者は両国で40カ所近く。歴史観の違いなど苦労もあっただけに、喜びはひとしおだ。韓国側の申請団体、釜山文化財団の柳鍾穆(ユジョンモク)代表理事は「これから韓日両国が朝鮮通信使の誠信交隣の精神をもとにさらに活発に交流し、ともに発展していくことを願います」とコメントした。
「上野三碑」の登録が決まった…