南極で初越冬した第1次観測隊の11人。後列左端が村越望さん=1958年1月1日、昭和基地
第59次南極観測隊が27日夜、日本を出発する。その一人、静岡大教授の村越真(しん)さん(57)は第1次越冬隊員の長男で、日本では初めて、親子2代で観測隊参加となる。研究テーマは「南極で危険をどう予測し、回避するか」。父親が残した願いを胸に、4カ月間の調査に挑む。
村越さんの父親は、観測隊に6回参加し、3年前に88歳で亡くなった村越望さん。越冬隊長も務めたが、家ではほとんど南極の話をしなかったという。
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ただ、山登りにはよく連れて行ってくれた。その影響か、村越さんは中学時代からオリエンテーリングにはまり、東京大学に進学した1980年、全日本選手権で初優勝。以後、15連覇してオリエンテーリング界の第一人者となった。現在は道迷いや山岳遭難がなぜ起きるかなど、危機認知や行動心理を研究している。
研究生活を続ける中で、「50歳になって南極へ行きたくなった」。折しも観測隊は、雪氷や気象など従来の観測とは異なる、新たな発想の「公開利用研究」の公募を始めていた。村越さんが「リスク認知というテーマはどうだろう?」と尋ねると、望さんは「そういう研究はいいかもな」と言葉少なに返した。どこかうれしそうに見えたという。
村越さんが生まれた1960年、望さんは4次隊で南極にいた。その越冬中、隊員が猛吹雪の中、行方不明になり、落命した。望さんが越冬隊長だった15次隊では、観測船乗組員がクレバスに落ちて亡くなった。
事故が二度と起きないようにと、観測隊は事故例集を作っている。84年の初版に望さんは「事故は尽きない。しかし限りなく零に近づけたい」と記した。村越さんは「助けられなかった命が脳裏から離れなかったのだろう」と感じている。
当時と比べて、観測隊の設備や装備は便利で快適になった。一方、アウトドア経験の少ない隊員が増え、かつての「山男集団」は姿を変えた。国立極地研究所の野木義史・南極観測センター長は「経験則だけではなく、新たな視点から危機管理を研究するのは意義深い」と、村越さんのテーマに関心を寄せる。
「父が提起した問題の答えを探したい」。南極では観測隊員が海氷や氷河などに潜む危険をどう予測し、行動するかを調査する。27日に成田空港を出発、豪州で観測船「しらせ」に乗船し、12月下旬に昭和基地到着。帰国は来年3月下旬の予定だ。(中山由美)