(左から)高岡寿成氏、国近友昭氏、諏訪利成氏=東京・築地の朝日新聞東京本社、相場郁朗撮影
第71回福岡国際マラソン選手権(朝日新聞社など主催)は12月3日に開催される。今年は国内の有力選手がそろい上位進出が期待される。今から14年前の第57回大会は翌年のアテネ五輪の代表選考会を兼ねて開かれた。レースは国近友昭(エスビー食品)が優勝。2位に諏訪利成(日清食品)、3位に高岡寿成(カネボウ)が入り、日本勢が表彰台を独占。しかも全員が2時間7分台の好記録だった。3位までを日本選手が独占するのは、この後一度もない。
「一番思い出に残るレース」
――今、14年前の大会について思い出すことは。
国近 競技をやっている中で一番のレースだった。6回目のマラソンで、それまで練習はできていても結果が出なくて苦しかった。五輪代表を狙うとかではなく、とにかく一回ちゃんと自分の力を出したいという思いが強かった。
諏訪 あの年は、勝負の年と位置づけて福岡に向けてやっていた。その日、その時間に体調を持っていくように心がけていた。トラックの実績がほとんどないので、とにかくマラソンで勝負したいと思っていた。白水監督(当時)は、福岡で好成績を残した森田(修一)さんや工藤(一良)さんを五輪に出場させられなかった。福岡に出るのであれば、五輪代表にならないと申し訳ないという気持ちがありました。
高岡 数々のレースの中で一番思い出に残るレース。勝たなければ五輪代表になれないというプレッシャーがありました。シドニー五輪が終わってからすぐにアテネ五輪でメダルをとるにはどうしたらいいかを考えて、この年の福岡に出場することを決めていました。当時の伊藤監督が4年計画を立てていたんです。
――高岡さんへの意識は。
国近 練習の時から高岡さんのことをずっと考えていた。ただ、いくらいい練習をしても、高岡さんには絶対勝てないと思っていた。当時監督だった瀬古さんもそう考えていたと思う。
諏訪 当時の高岡さんは雲の上…