ノーベル平和賞の授賞式で話す「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)のベアトリス・フィン事務局長=10日午後、オスロ、林敏行撮影
核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)のベアトリス・フィン事務局長の受賞講演
「核兵器は必要悪ではなく絶対悪」 サーロー節子さん
授賞式でサーローさんら演説 ICANにノーベル平和賞
【特集】核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)
本日、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)を構成する何千人もの人々を代表して、2017年のノーベル平和賞を受け取ることは大変な光栄です。私たちはともに、軍縮に民主主義をもたらし、国際法の新たな形を作り出してきました。
私たちは、ノルウェー・ノーベル委員会が私たちの活動を認め、この重要な運動に機運を与えてくださったことに、感謝を申し上げます。この運動に惜しみなく時間とエネルギーを費やしてきてくださった人々をたたえます。共通の目標に向かって前に進むため、私たちと連携して取り組んでこられた勇気ある外務大臣、外交官、赤十字・赤新月のスタッフ、国連職員、学者・専門家の皆さまに感謝します。そして、この恐ろしい脅威を世界から取り除くことを誓っているすべての人々に感謝します。
大地に埋設されたミサイル発射台や海の中を潜航する潜水艦、空を高く飛ぶ航空機など、世界中の数十カ所に、人類を破壊する1万5千個もの物体が置かれています。おそらく、この事実があまりに非道で、それがもたらす結末が想像を超えるほどの規模であるがゆえに、多くの人々は残酷な現実をただ受け入れてしまっているようです。私たち全員を取り巻くこの異常な道具について考えることなく、暮らすためにです。
このような兵器に私たちが支配されることを許していることこそ、異常です。私たちの運動を批判する人たちは、私たちを非理性的で、現実に基づかない理想主義者であると言います。核武装国は決して兵器を手放さないのだと。
しかし、私たちは、唯一の理性的な選択を示しています。核兵器をこの世界に定着した物として受け入れることを拒否し、自分たちの運命が数行の発射コードによって束縛されていることを拒否する人々を私たちは代表しています。
私たちの選択こそが、唯一、可能な現実なのです。他の選択は、考慮に値するものではありません。
核兵器の物語には、終わりがあります。どのような終わりを迎えるかは、私たち次第です。
核兵器の終わりか、それとも、私たちの終わりか。
そのどちらかが起こります。
唯一の理性的な行動は、突発的なかんしゃくによって、私たちが互いに破壊されてしまうような状況で生きることをやめることです。
今日私は、三つのことについてお話ししたいと思います。恐怖(fear)、自由(freedom)、未来(future)についてです。
核兵器を保有する者たち自身が認めているように、核兵器の真の効用とは恐怖を引き起こす力を持つことです。核兵器を支持する者たちが「抑止」効果について語るとき、彼らは恐怖を戦争の兵器としてたたえています。彼らは、無数の人間を一瞬で皆殺しにすることの準備ができていると宣言し、胸を張っています。
ノーベル文学賞受賞者のウィリアム・フォークナーは1950年の受賞にあたり「唯一ある問いは『いつ自分は吹き飛んでしまうだろうか』だ」と述べました。しかしそれ以来、この普遍的な恐怖は、さらに危険なものに取って代わられました。それは、否認です。
瞬時に世界が終末を迎えるハルマゲドンの恐怖は去り、核抑止の正当化に使われた世界両ブロックの均衡は終わり、核シェルターはなくなりました。
それでも一つ残ったものがあります。私たちにその恐怖を与えてきた何千、何万という核兵器そのものです。
核兵器が使われるリスクは、今日、冷戦が終わったときよりも大きくなっています。しかし冷戦時とは違って、今日、世界にはより多くの核武装国があり、テロリストもいれば、サイバー戦争もあります。これらすべてが、私たちの安全を脅かしています。
目をつぶってこのような兵器との共存を受け入れることは、私たちの次なる大きな過ちとなります。
恐怖は、理性的なものです。この脅威は、現実のものです。私たちが核戦争を回避してこられたのは、分別ある指導力に導かれたからではなく、これまで運がよかったからです。私たちが行動しなければ遅かれ早かれ、その運は尽きます。
一瞬のパニックや不注意、誤解された発言、傷つけられた自尊心が、いともたやすく私たちの都市全体を破壊してしまいます。計画的な軍事増強は、一般市民の無差別大量殺戮(さつりく)を引き起こします。
世界に存在する核兵器のごく一部が使われただけでも、爆発のばい煙が大気圏の高くに届き、地球の表面を十年以上にわたり冷やし、暗黒にして、乾燥させます。それは食物を消し去り、何十億もの人々を飢餓の危機にさらします。
それにもかかわらず、私たちは、このような私たちの存在そのものに対する脅威を否認しながら生きているのです。
フォークナーは、ノーベル賞講演の中で、彼に続く者たちに向けられた課題についても語っています。彼は、人類の声によってのみ、私たちは恐怖に打ち勝ち、人類が持続することを可能にすると語りました。
ICANのつとめは、そのような声となることです。人類および人道法の声となることです。一般市民を代表して声を上げることです。人道的観点からその声を上げることによって、私たちは恐怖を終わらせ、否認を終わらせることができます。そして最終的に、核兵器を終わらせることもできるのです。
2点目の自由について、お話ししたいと思います。
核戦争防止国際医師会議(IPPNW)は、核兵器に反対する団体として初めてノーベル平和賞を受賞した1985年、この壇上で次のように述べました。
「私たち医師は、世界全体を人質に取るという無法行為に抗議する。私たちが自らの絶滅に向けてお互いを標的にし続けているという道徳違反に抗議する」
これらの言葉は2017年、まさに響いています。
差し迫る絶滅の人質にとらえられたまま生きることをやめる。その自由を、私たちは取り戻さなければなりません。
男たちは――女たちではなく!――他者を支配するために核兵器を作りました。ところが実際には、私たちが核兵器に支配されてしまっています。
彼らは私たちに間違った約束をしました。それは、核兵器を使うことの結末をあまりにも恐ろしいものにすることによって、紛争を望ましくないものにすることができると。それにより、私たちは戦争から自由になれると。
しかし、核兵器は、戦争を防ぐどころか、冷戦期に私たちを何回も崖っぷちに追い込んできました。そして、核兵器は今世紀も、私たちを戦争や紛争に突き進めようとしています。
イラクでも、イランでも、カシミールでも、北朝鮮でも、核兵器の存在は、核競争への参加へと他者を駆り立てています。核兵器は私たちを安全にするどころか、紛争を生み出しています。
私たちと同じノーベル平和賞受賞者であるマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が1964年にまさにこの壇上から述べたように、核兵器は「大量虐殺的かつ自殺的な」兵器です。
核兵器とは、血迷った男が私たちのこめかみにたえず銃を突きつけているようなものです。核兵器は私たちを自由にするとされてきましたが、実際は、私たちの自由を否定しています。
核兵器による支配は、民主主義に対する侮辱です。しかし、これらは単なる兵器です。単なる道具です。これらの兵器が地政学的理由から創造されてきたのと同じように、これらの兵器を人道的観点の下に置いて廃棄していくことは簡単なことです。
これこそ、ICANが自らの任務とするところであり、私の話の3点目、未来に向かう道です。
私は本日、核戦争の恐ろしさを証言することを自らの人生の目的としてきたサーロー節子さんと共に、この壇上に立っていることを光栄に感じています。
彼女ら被爆者たちは、この核兵器の物語の始まりを経験しました。私たち皆に課せられた課題は、被爆者がこの物語の終わりも、その目で見ることができるようにすることです。
被爆者は、自らの悲痛な過去を何度も思い出してきました。それによって私たちがよりよい未来を作り出すことができるようにするためにです。
何百もの団体がICANに加わり、未来に向けた力強い歩みを進めています。世界中で何千人もの運動員たちが、日々たゆみなく、その課題に立ち向かっています。
地球上で何百万もの人たちが、これら運動員たちと肩を組んで彼らを支え、さらに何億人もの人たちに対して、今とは違う未来は可能であることを示してきました。
そのような未来が不可能だという人たちは、それを現実にしようとしている人々の道を阻むのをやめるべきです。
市井の人々の行動により、これら草の根の努力の頂点として今年、これまで仮説だったものが現実へと前進しました。核兵器という大量破壊兵器を違法化する国連条約が、122カ国の賛成で採択されたのです。
核兵器禁止条約は、この世界的な危機の時にあって、未来への道筋を示しています。それは、暗い時代における一筋の光です。
さらに、それは私たちに選択を示しています。
二つの終わりのどちらをとるかという選択です。核兵器の終わりか、それとも、私たちの終わりか。
前者の選択を信じることは、愚かなことではありません。核を持つ国が武装解除できると考えることは、非理性的なことではありません。恐怖や破壊よりも生命を信じることは、理想主義的なことではありません。それは、必要なことなのです。
私たち全員が、この選択を迫られています。そして私は、すべての国に、核兵器禁止条約に参加することを求めます。
米国よ、恐怖よりも自由を選びなさい。
ロシアよ、破壊よりも軍備撤廃を選びなさい。
イギリスよ、圧政よりも法の支配を選びなさい。
フランスよ、テロの恐怖よりも人権を選びなさい。
中国よ、非理性よりも理性を選びなさい。
インドよ、無分別よりも分別を選びなさい。
パキスタンよ、ハルマゲドンよりも論理を選びなさい。
イスラエルよ、抹殺よりも良識を選びなさい。
北朝鮮よ、荒廃よりも知恵を選びなさい。
核兵器の傘の下に守られていると信じている国々に問います。あなたたちは、自国の破壊と、自らの名の下で他国を破壊することの共犯者となるのですか。
すべての国に呼びかけます。私たちの終わりではなく、核兵器の終わりを選びなさい!
この選択こそ、核兵器禁止条約が投げかけているものです。この条約に参加しなさい。
私たち市民は、偽りの傘の下に生きています。核兵器は私たちを安全になどしていません。核兵器は私たちの土地や水を汚染し、私たちの体に毒を与え、私たちの生きる権利を人質にとっているのです。
世界のすべての市民に呼びかけます。私たちとともに、あなたたちの政府に対して、人類の側に立ち、核兵器禁止条約に署名するよう要求してください。私たちは、すべての国の政府が理性の側に立ち、この条約に参加するまで活動し続けます。
今日、化学兵器を保有することを自慢する国はありません。
神経剤サリンを使用することは極限的な状況下であれば許されると主張する国もありません。
敵国に対してペストやポリオをばらまく権利を公言する国もありません。
これらは、国際的な規範が作られて、人々の認識が変わったからです。
そして今、ついに、私たちは核兵器に対する明確な規範を手にしました。
歴史的な前進への一歩は、普遍的な合意で始まることはありません。
署名する国が一つずつ増えて、年を重ねるごとに、この新しい現実は確固たるものとなります。
これこそが進むべき道です。核兵器の使用を防ぐには、ただ一つの道しかありません。核兵器を禁止し、廃絶することです。
核兵器は、これまでの化学兵器、生物兵器、クラスター爆弾や対人地雷と同様に、今や違法となりました。その存在は非道徳です。その廃絶は、私たちの手の中にあります。
終わりが来るのは、避けられません。しかしそれは、核兵器の終わりか、それとも、私たちの終わりか。私たちは、そのどちらかを選ばなければなりません。
私たちのこの運動は、理性を求め、民主主義を求め、恐怖からの自由を求める運動です。
私たちは、未来を守るために活動する468団体からの運動員です。道義上の多数派の代表者です。死よりも生を選ぶ数十億人の代表者です。私たちは共に、核兵器の終わりを見届けます。
ご静聴ありがとうございました。