元公明党書記長の市川雄一さん
公明党の書記長を務めた元衆院議員の市川雄一(いちかわ・ゆういち)さんが死去したことが14日、わかった。82歳だった。
1935年、横浜市生まれ。早稲田大第二商学部卒。聖教新聞記者、公明新聞記者などを経て、76年総選挙で旧神奈川2区から初当選し、当選9回。公明新聞の編集局長時代には共産党との憲法論争を指揮した。89年5月から94年12月まで、石田幸四郎委員長の下で書記長を務めた。
92年6月、自民、公明、民社3党による「自公民路線」で、国連平和維持活動(PKO)協力法を成立させ、平和を掲げる公明党にとって安全保障政策分野で「現実路線」への転換点となった。自民党幹事長だった小沢一郎氏との盟友関係は「一・一ライン」と呼ばれ、PKO法成立以降も選挙制度改革を通じた政界再編の流れを主導した。
93年8月には「非自民」の細川連立政権への公明党参画を導いた。94年6月に「自社さ政権」誕生で野党に転落後、同年12月には「一・一ライン」で新進党結成に動き、党政務会長などを歴任した。97年の新進党解党後は、新党平和常任顧問、公明党常任顧問に就いた。2003年11月の総選挙を前に政界から身を引いた。