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岡山理大付、9回逆転サヨナラ打を生んだ主将の言葉

作者:佚名  来源:asahi.com   更新:2018-1-12 23:22:36  点击:  切换到繁體中文

 

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智弁和歌山―岡山理大付 九回裏岡山理大付2死満塁、馬場のサヨナラ安打で生還する二塁走者西川(7)を両手をあげて迎える岡山理大付の選手たち


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(1999年準決勝、岡山理大付5―4智弁和歌山)


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甲子園ベストゲーム47 岡山


岡山勢初の決勝へ。扉をこじ開けたのは、左足にけがを負った5番打者の一振りだった。痛みに苦しむ彼を奮い立たせたのは、主将の厳しいひと言だった。


1999年8月20日、第81回大会準決勝。岡山理大付は、前々年王者の智弁和歌山に挑んだ。3―4と食らいつき、迎えた九回裏。2死満塁で、右打席に馬場雅央(まさお)が立った。


「振れるとしたら、1回だけじゃろ、と。もうまっすぐだけ、絞り球だけを頭に入れていた」


1ボールからの2球目。低めへきた直球を、迷いのないスイングで仕留めた。会心の打球は左中間を割り、逆転サヨナラの2点適時打となった。


理大付は前年春の選抜を経験し、この夏が19年ぶり2回目の全国選手権だった。体重100キロ超の巨漢の4番打者、森田和也を中心に打力に自信があった。全国制覇を目標に掲げ、積み上げてきた練習量にも自負があった。個性豊かなメンバーを、主将の森北真悟がまとめあげた。


初戦の2回戦で学法石川(福島)からサヨナラで選手権初勝利を挙げると、3回戦は選抜準優勝の水戸商(茨城)、準々決勝は滝川二(兵庫)と、強豪をなぎ倒していった。そして、準決勝は強打の智弁和歌山。エース早藤祐介の踏ん張りもあり、六回を終え1―4。七回に森北の二塁打を足場に2点を奪い、終盤勝負に持ち込んだ。


中心打者の1人、馬場が一塁の守備でけがを負ったのは、そんな時だ。八回、遊ゴロの処理でベースに入った際、打者走者に左足を踏まれた。走者のスパイクの歯が刺さって自分のスパイクが破れ、出血。走者の足に引っ張られて足首もひねった。早川宜広(よしひろ)監督に「いけます」と言ったものの、痛みが集中力をそぐ。「内側からずんずんとくるような重い感じ。ずっと気になっていた」


負傷直後の八回1死の打席が、伏線になる。初球を打って一邪飛に倒れた。「不安と怖さがあって、めちゃくちゃ中途半端なスイングだった」


この姿に腹を立てたのが、次打者席にいた6番の森北だ。森北はこの時点では馬場の負傷の程度を知らなかったという。そんな主将の目には、気持ちが入っていないようなスイングに見えた。チームを代表してグラウンドに立つ以上、痛いそぶりを見せるべきではない、とも考えていた。だから、打席へ向かう際、すれ違いざまに言った。


「痛いんやったら、代えてもらえや」


辛辣(しんらつ)にも聞こえる、この言葉が馬場をよみがえらせた。「気持ちが全然変わった。ずっと足のことが気になっていたけど、森北の言葉で、それは個人の問題だから、と切り替えられた」


九回、挽回(ばんかい)の機会がきた。敵失と安打などで2死一、三塁を築く。打席に入った森田が、勝負を避けられ、塁が埋まった。


もう、馬場に迷いはない。「底抜けに明るくて、物おじしない。とにかく思い切りよく振れる。うまく右方向へ打とうなんて考えもしない」。早川監督による人物評だ。最後の打者になるかも、などとは全く考えなかった。次打者席にいた森北は覚えている。「八回とは雰囲気が違った。周りの声が聞こえていないような集中力があった」


文字どおり、たった一振りに賭け、勝負を決めた。馬場は左足を引きずりながら一塁に達し、仲間と抱き合って泣いた。本塁付近で大喜びした森北も、馬場の姿を見て、やはり泣いた。


翌日の決勝。準決勝の激闘で力を使い果たしたかのように、桐生第一(群馬)に1―14で敗れた。森北は法大の準硬式野球部でも主将を務め、いまは広島県の福山市役所に勤める。馬場は本格的な野球は高校で終え、いまは岡山県内の自動車関連の会社で働く。


準優勝はいまも県勢の最高成績だ。99回大会まで5年連続初戦敗退と、近年の岡山代表は苦戦が続く。馬場は言う。「甲子園に出ることに満足するんじゃなくて、もっと上を見て欲しい」。ふるさとの後輩たちがいつか、あの夏の自分たちを超えていくことを願っている。(竹田竜世)



馬場雅央(ばば・まさお) 1981年、岡山県成羽町(現高梁市)出身。成羽中時代は軟式野球部。3年夏の81回全国選手権は全5試合に5番・一塁手で出場。



森北真悟(もりきた・しんご) 1981年、大阪府寝屋川市出身。地元のボーイズリーグでプレーした後、岡山理大付に進学。3年夏の81回全国選手権は全5試合に6番・二塁手で出場。



早川宜広(はやかわ・よしひろ) 1967年、広島県福山市出身。広島・盈進高、駒大をへて、92年から岡山理大付のコーチ、93年からは監督。監督として甲子園出場は春3度、夏4度。




 

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