パラレル大回転準々決勝進出を決めた竹内智香=林敏行撮影
(24日、平昌五輪スノーボード女子パラレル大回転)
竹内智香、2大会連続メダルならず パラレル大回転
特集:平昌オリンピック
言葉を動きに、動きを言葉に。「孤高の星 羽生結弦」
小学生でスノーボードを始めてから20年超。34歳になった竹内智香(広島ガス)が、5回目の五輪に挑んだ。決勝トーナメント準々決勝で敗れ、5位。夢に見た金メダルには届かなかった。この4年間は、選手生命を脅かす大けがも経験したが、笑顔で乗り越えてきた。原動力は、筋金入りのポジティブ思考だ。
ソチ五輪で銀メダルに輝いたのは2014年2月。順調に見えた競技人生が暗転したのは、16年3月にドイツでのワールドカップ(W杯)だった。試合中に転倒し、左ひざの前十字靱帯(じんたい)を断裂。全治10カ月と診断された。ただ、ここで「良いタイミングでけがをした」と考えるのが竹内流だ。「(平昌五輪で)金メダルを取った時に、良いストーリーになる」
つらいはずのリハビリだって、どこ吹く風。「4年間はとにかく長いと感じていた。短く感じさせてもらえてよかった」。術後3週目で自転車トレーニングが始まり、8週目で走れるようになった。「立てるようになって、走れるようになって、ジャンプできるようになって。赤ちゃん(の成長)みたいな生活ができるから、意外と楽しい」
「超」が付くほどのポジティブ思考には、理由がある。07年、23歳でナショナルチームを外され、拠点をスイスに移した。「自分の中であきらめをつけようと思って。本場で強い選手との力の差を感じたら、悔いなく競技をやめられるんじゃないかって」
だが、乗り込んでみたら、「あまり差を感じなかった」。結果的に、5年間スイス代表に同行。強豪の中でもまれたことで、世界のトップ選手へと成長した。現在も師事するフェリックス・スタドラーコーチと出会ったのもこの時だ。「ナショナルチームを切られたのはマイナス要素。でも、それが結果的にはプラスに変わった」
友岡和彦トレーナー(46)は「『金が取れなかったら』ではなく、『金が取れたらどうしよう』。そういう部分を一切疑わない心の強さがある」と語る。
竹内が口癖のように繰り返すのは、「全て必然」。けがや挫折、体調不良さえも「これが何かのプラスになる」と思えば、いつだって前向きになれる。「私、世の中にネガティブなものはないと考えているので」。
この日、敗れても竹内は笑顔だった。「やっぱり金メダルを取って100点満点っていうのが一番のストーリー。でも、やってきたことに満足しているし、やりきれたっていう意味では100点満点」。全てを肯定して、前へ進む。(吉永岳央)