英国の雑誌に掲載された炭酸水の瓶詰め工場。右側の荷車の前にいるのがウィルキンソン=鈴木博氏提供
「2017年 今年の一皿」の準大賞に「強炭酸ドリンク」が選ばれた。昨年12月に東京であった授賞式の場に、兵庫県宝塚市の関係者が招待されていた。強炭酸ドリンクの人気をリードする「ウィルキンソン タンサン」(アサヒ飲料)と宝塚の知られざる関係を取材した。
「ウィルキンソン タンサン」を売り出したのは、英国人のジョン・クリフォード・ウィルキンソン(1852~1923)。
宝塚市在住の郷土史家、鈴木博氏(64)によると、明治の初めごろに来日し、神戸外国人居留地の商社に雇われ、機械精米工場などで働いていた。
アサヒグループホールディングス(東京)によると、1889(明治22)年、狩猟中に宝塚で炭酸泉を発見。良質な鉱泉と分かり、翌年に瓶詰め生産を始めた。
その炭酸水は、海外の賓客をもてなす食卓水を求めていた明治政府の要望を満たす製品として、広まったという。広報担当は「炭酸飲料が『タンサン』と呼ばれるのは、ウィルキンソンの商標が一般化したためと言われている」と話す。
鈴木氏によると、見つかった炭酸泉は、武庫川右岸にある宝塚温泉場の源泉の傍らでわき出ていた炭酸泉という。ウィルキンソンの長女の回顧録などには地元民らがその炭酸水でラムネを作り、その後、ウィルキンソンが事業化したと記されている。
宝塚の瓶詰め工場は温泉場近くの紅葉谷にあったとされ、鈴木氏が入手した1899年の英国雑誌には工場の写真が掲載され、「TANSAN」と記された木箱が積まれた荷車も写る。
ウィルキンソンは瓶詰め生産を始めたのと同じ頃、宝塚に洋式高級ホテル「タンサンホテル」も開業。炭酸水の輸出拡大のため、海外の取引先などを工場見学に誘致した際の宿泊所として使った。
宝塚を当時訪れた外国人が母国に持ち帰った写真や絵はがきが、近年、欧米のネットオークションにしばしば出品されている。
なぜ明治・大正期の宝塚へ外国人が訪れていたのか――。不思議に思っていた鈴木氏は、英国の出版社が1893年に発行した日本旅行ガイドブックにこのホテルの広告が載り、宝塚を「西宮の駅から人力車で1時間。良質の鉱泉浴場とステキな散歩道がある」などと紹介していたことを知り、納得したという。
1904年、工場は生産を増やすため、武庫川を約1・5キロさかのぼった現在の西宮市生瀬武庫川町へ移転。この年、会社も設立され、販路は国内の一流ホテルはもとより、東南アジアなど海外27カ国に広がっていた。
ウィルキンソンの死後は子孫が経営を継いだが、戦時中は孫のハーバートが敵国人抑留所に収容されるなど苦難を強いられたという。
生瀬の工場は90年に閉鎖され、翌年、アサヒビール飲料製造(現・アサヒ飲料)が明石工場(明石市)でウィルキンソンブランドの生産を始めた。
強炭酸が特長のウィルキンソンの炭酸水は、ハイボールやカクテルの割り材としての需要に加え、最近は健康志向から直接飲むスタイルが人気を呼んでいる。
「今年の一皿」の授賞式に招かれた宝塚市国際観光協会長の小早川優さん(52)は、「ウィルキンソンと宝塚の歴史を市民や観光客に紹介していきたい。ウィルキンソンの炭酸水を使った『宝塚ハイボール』などの開発を検討し、市内で提供できたら」と話している。(鈴木裕)
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〈今年の一皿〉 ぐるなび総研(東京)が、その年の世相を象徴する「食」として、2014年から毎年発表している。過去にはセリ科の野菜で独特の香りがある「パクチー料理」や、握らずに作るおにぎり「おにぎらず」などが選ばれた。17年は「鶏むね肉料理」で、準大賞が「強炭酸ドリンク」だった。