ダンサーとして観客を魅了してきたマヒナ千鶴さんの舞い。震災を経て表現力が増した=いわき市常磐藤原町
スパリゾートハワイアンズ(福島県いわき市)の人気ダンサーで、東日本大震災後、全国を巡回公演して被災者を勇気づけたマヒナ千鶴(本名・松本千鶴)さんが舞台を下りる。特別に用意された10日の引退公演では「一山一家」の精神で励まし合ったダンサー仲間やファンへ、感謝の舞いを届ける。
特集:120日後のフェス 震災の年のアラバキ
8日夜の公演でマヒナさんが登場すると、舞台の輝きが増した。豊かな表情と長い手足が物語を奏でるようで見る者を引きつける。終了後、ファンに握手を求められ、「ありがとう」と両手を添えた。
石炭産業で栄えたいわき市内郷の出身。いわき総合高校を卒業した2005年、母親に勧められ、41期生としてフラガールへの門をたたいた。両親から「10年はやりなさい」と言われ覚悟も決めた。
運動神経には多少の自信があったが踊りの経験はなく、「ゼロ」からの出発。常磐興産入社と同時に入校した常磐音楽舞踊学院では稽古漬けの毎日を送ったが、「新しい振り付けが刺激的。楽しかった」と苦にならなかった。
11年3月11日。中堅として頭角を現し始めていた頃だった。施設は壊滅的な被害で長期休業に追い込まれ、ダンサーたちは自宅待機を余儀なくされた。「ダンサーに何かできることはないか」。当時のリーダーも含め、みんな居ても立ってもいられなかった。
ダンサーの要望に会社側の出した答えが、キャラバン隊の結成だった。1966年の開業時に、初代ダンサーが全国を駆けずり回った伝説の巡回公演の再来だ。着の身着のままで県内外に避難した県民の慰問を重ねた。「勇気づけたり夢を与えたりする力が私たちにはある」と改めて気づかされた。
営業再開までの11年5~10月に韓国ソウルを含め全国125カ所で計247公演。「仕事」という内向きの考えを脱ぎ捨て、観客に楽しんでもらう「エンターテイナー」と自覚して取り組むようになった。
再開後も研鑽(けんさん)に励み、16年には念願のソロダンサーに。ファンの間ではそれまで「クール」と形容された自分の踊り。感情を表に出すことを抑制してきたが、「恥ずかしくない」と心機一転。重圧をはねのけ、曲が描くストーリーを映し出すように、表情を豊かに感情を込めて表現することを心がけるようになった。
「自分の体が壊れるまで、応援してくれるお客様が見てくださるまで、踊り続けたい」。今では得意のフラをファンは「美しすぎる」「思い出すだけで、鳥肌が立つ」と評する。
「千鶴さんのようなダンサーになりたい」と言って後輩ダンサーが入社してくるようになったが、結婚を理由に引退を決断した。
「後輩たちも粒ぞろい。応援をしてくれるお客様へ感謝の気持ちを忘れずに頑張ってほしい」とエールを送る。(床並浩一)