高屋昂平投手(右)と五十嵐喜代敬監督
青森の弘前高硬式野球部出身の高屋昂平さん(18)がこの春、東京大学文科三類に現役合格した。1年生の秋、勉強も野球も嫌になって不登校になりかけた高屋さんを変えたのは、五十嵐喜代敬監督(43)の励ましと、部活仲間の存在だった。
動画もニュースも「バーチャル高校野球」
高屋さんは中学時代は控え投手で、試合にはほとんど出場できなかった。高校の野球部でも練習についていけず、守備練習では失敗ばかり。仲間からの助言も受け入れられず、逆に味方のミスにはいらついた。
練習での疲れから、帰宅後は寝てしまい、自信があった勉強でも結果が出せない日々が続いた。「もういいや」。1年生の秋に学校へ行かなくなった。
1週間ほどゲームをしてだらだら過ごしていた頃、五十嵐監督が自宅へ来た。部活仲間や学校への不満をぶつける高屋さんに、五十嵐監督は言った。「逃げるな。考えを押しつけるんじゃなく、自分が変わればいい」
どこかできついことから逃げていたと、気がついた。もう一度やり直そう。そう考えて部に戻った高屋さんを、仲間は何事もなかったかのように迎えてくれた。
当時は同学年の岩谷敬裕さん(18)が1年生大会を一人で投げていた。遅れを取り戻そうと、カーブの制球力を磨いた。次第に空振りをとれるようになり、決め球になった。
岩谷さんがひじを痛めた2年生の秋、五十嵐監督からエースナンバーを託された。緊張する高屋さんに、岩谷さんは「打たれてもすぐ気持ちを切り替えろ」と励ましてくれた。3年生の青森大会2回戦では先発のマウンドに立った。しかし、緊張からか制球が定まらず、1死しかとれずに一回途中で交代。チームは7点をとられてコールド負けし、最後の夏は終わった。
悔しい思いの中、五十嵐監督が「甲子園出場」と並んで度々口にしていた目標を思い出した。「野球部から東大」。自分を立ち直らせてくれた監督に恩返しがしたいと、気持ちを切り替えた。
ひたすら勉強し、休日は10時間以上机に向かった。しかし、模擬試験の結果は入試直前になってもD判定ばかり。そんなときは、岩谷さんの「切り替えろ」という言葉を思い出した。覚悟を決め、私立大は受験せずに東大一本に絞った。
入試当日、緊張せずに臨めたが、不安で自己採点はできなかった。そして合格発表の3月10日、職員室に呼ばれた。「おめでとう」。涙目の五十嵐監督と抱き合った。憧れの神宮球場のマウンドに立つことを夢見て、東大硬式野球部に入部するつもりだ。
全国高校野球選手権大会は今年が100回目だが、弘前高はいまだ夏は甲子園の土を踏んでいない。その目標は後輩に託す。「誰にでもうまくいくこと、いかないことはある。それでも最後までやれると思えば、きっとやれる」(板倉大地)