店内に金の看板を掲げ、再び海辺で「金華楼」を営業する鈴木康仁さん=女川町
震災の津波で店を流された宮城県女川町の中華料理店「金華楼」が、元の場所近くの海辺で店を再建し、町の人たちに親しまれている。店内には、がれきの中から見つかった「金」の大看板。金色に光るお客さんの笑顔をまた見たいと、店長は再び腕を振るっている。
金華楼は、1955年創業の老舗。震災の日、4代目店長の鈴木康仁さん(45)はいつものように店を開いていた。午後、突然津波の警報が聞こえ、高台に家族を連れて避難した。家族は全員無事だったが、店は跡形もなく流された。
避難所では生活することで必死だった。しかし、避難所にいた常連客から「またやるんですよね」と何度も言われ、店をやり直そうと決断した。
「がれきの下に、看板が残っていましたよ」
震災から1週間後、役場の職員がそう教えてくれた。元の店には、「金華楼」の看板を2階と3階の間の壁に掲げていた。女川を襲った津波は高さ約十数メートル。鈴木さんは「残っているはずがない」と思いながら、伝えられた場所に向かった。その日は見つからなかったが、数日後に今度は職員が自ら見つけて届けてくれた。
見つかった看板は、「金華楼」の「金」の文字だけ。「『華』でも『楼』でも微妙な感じ。『金』というのがいい。運が良い」。2011年9月に高台のビルで仮営業を始め、16年3月、元の店から約100メートルの場所に店を建て直して、看板を店内に飾った。
「この看板は、見る人が見れば、何かを感じてくれるはず」
再建から2年。窓から海を見ると、思い出す景色がある。かさ上げした土地に建てたいまの店の1階からの眺めは、震災前の店の3階からの景色と似ている。「またここに戻ってきたんだな。女川湾の見える場所がやっぱり最高だ」と懐かしむ。
店にも、以前の常連客らが戻ってきた。鈴木さんが厨房(ちゅうぼう)にいると、「久しぶり!」「今どこにいるの」と、お客さん同士の声が聞こえてくる。店は、震災後に離れてしまった人たちの再会の場にもなっている。
「金」の看板を掲げ、これからも女川を盛り上げていくつもりだ。「女川は復興の段階を経て、これからが新しいスタート。みんなが金色の笑顔になるように、店を続けていきたい」(加藤秀彬)