1980年8月の巨人―広島14回戦。連続試合出場1247試合の当時の日本新記録を達成した衣笠祥雄さん
「江夏豊の21球」の時の衣笠祥雄さんの姿が、やはりまぶたから離れない。1979年だった。広島と近鉄の日本シリーズ第7戦。リリーフエースの江夏は、ピンチをむかえていた。1点リードの九回裏一、三塁。広島の古葉竹識(たけし)監督は池谷公二郎と北別府学にブルペンでの投球練習を命じた。延長戦も想定しなければならない。監督としては当然の判断だ。が、江夏の表情が変わった。「何しとるんや。おれに、よう任さんいうのか」。そんな気持ちを衣笠さんだけが察知したのだ。無死満塁になり、マウンドへ行った。「お前がやめるなら、おれも一緒にやめてやる」。瞬時に言った。これで江夏は落ち着いた。ピンチからの脱出は、この衣笠さんの一言がなければ生まれなかった。デリケートな人だった。極めて繊細で人の心を思いやるアスリートだった。
江夏豊さん「すぐに追いかけるから」 衣笠さん悼む
「鉄人」と呼ばれた。連続試合出場の記録を持っていたからだ。79年8月1日の巨人戦で西本聖から死球を受け、左の肩甲骨を骨折した。しかし、次の試合で代打で登場し、連続試合出場は続いた。この試合の打席は江川卓に対し、フルスイングでの三振だった。「1球目はファンのために、2球目は自分のために、3球目は西本君のためにフルスイングしました。それにしても江川君の球は速かった」。試合後、そう話した。次の試合はフル出場し、ファンを驚かせた。
実は連続出場記録にこだわった…