佐々木亨さん=横浜市港北区で
佐々木亨さん(スポーツライター)
掲げる目標、別次元 日ハム顧問が語る自信家・大谷翔平
大谷翔平が高校に入学した15歳から継続的に取材を続けてきました。彼を見に来たあるメジャー球団の日本地区スカウトは当時すでに、サッカーでもバスケットボールでも陸上でも、大谷がどのスポーツに進んでも日本の歴史上最高のアスリートになれると評価していました。彼の身体能力はケタ違いだったわけです。
ただ大谷をよく知る人であればあるほど、運動能力以上に、彼の素晴らしさを「内面」に見るのです。身体能力はスポーツ選手だった両親から受け継いだ要素が強いとしたら、彼の思考力や向上心といった内面的な特徴は後天的に身についたと言えます。
ご両親は小さい頃から、彼の好きなように任せ、おおらかに育てましたが、野球の監督だった父は小学校5年ごろまで息子に「野球ノート」をつけさせていました。毎日試合での反省や課題を書かせ、父親がそれに返答する、言わば野球の「交換日記」です。父は「書くこと」を重視していました。言葉を書き付けさせ、頭に入力する習慣をつける。彼の考える力の原点にあるのかもしれません。
彼が進んだ花巻東野球部の佐々木洋監督も、「言葉」を重んじる指導者でした。言葉にはデータや情報、理論を伝えるだけでない要素、「言霊」があると言い、どんなに小さな言葉でも人の人生を左右する力があると考えていました。そんな監督から大谷が受け取り、自分で長年かけて消化した言葉も多かったと思います。彼が言う「先入観は可能を不可能にする」もそうです。「大谷語録」とも呼ばれる、特徴的な言葉の原型は10代にあるのでしょう。
「頭がいい」と大谷を評する人もいます。「頭がいい」と言うと、ふつう物事を効率よく処理する論理的思考や、リスクとメリットを比較・計算する力など、偏差値秀才的な賢さを想像します。
ところが、彼はむしろその逆です。彼は効率ではなく、「~したい」という自分の中でわき上がる欲求、「内なる声」にシンプルに従うのです。大谷は今行けば成功できるとか、得だとかを考えてメジャーに行ったのではなく、「行きたいから行った」のです。成功や失敗は、行って初めて経験することで、二の次なのです。2年後には巨額な大型契約を結べるといった計算にも興味がない。その単純な姿勢は決してブレません。
その意味で、彼は私たちの社会が共有している物差し、価値観からは離れたところにいるのです。子どものときから、言葉を大事にし深く考えることを通じて、彼自身が培ってきた芯の強さでしょう。
メジャーで今、プレーしている姿は野球少年のままです。やりたいからやっている。心から楽しんでいるからこそ、さらに先へと進めるのでしょう。(聞き手・中島鉄郎)
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佐々木亨 74年生まれ。雑誌編集者を経て独立。著書に大谷を描いた「道ひらく、海わたる」など。