「低く飛べた日」
日曜に想う
おもてなしの国――。
日本が2020年のオリンピック・パラリンピックの招致合戦で掲げた言葉だ。今も観光立国を推進するキャッチフレーズになっている感がある。けれど、これを大哲学者、カントが聞いたら首をかしげるかもしれない。
彼は著書「永遠平和のために」で「善きもてなし」を受ける権利を平和の条件のひとつとして論じている。
「外国人が他国の土地に足を踏みいれたというだけの理由で、その国の人から敵として扱われない権利を指す」(中山元訳)。鉄道も自動車もない時代だ。毎日、地球上を行き交うおびただしい数の観光客を想定しているわけではない。
外国人を退去させることができるのは、それによってその人が生命の危険にさらされない場合に限る、とも述べている。今日、カント流に「おもてなし」の対象を考えるなら、それは観光客よりも難民や移民ということになるだろう。
実際、たとえば著名な法学者、ミレイユ・デルマスマルティ氏はこの4月、仏ルモンド紙への寄稿でカントを引用、移民や難民の扱いは「善きもてなし」を原則とするのが、グローバル時代の急務だと主張していた。
◇
4月13日、茨城県牛久市にある東日本入国管理センターに収容されていた30代のインド人男性が亡くなった。法務省入国管理局によると「自殺」という。事件のあと、ほかの収容者たちがしばらくハンストを続けた。
なぜ男性は自殺し、彼の仲間は…