倒壊した建物から資料を運び出すメンバーら=兵庫県芦屋市、1995年2月撮影、歴史資料ネットワーク提供
地震などの災害が発生したとき、地域や個人の歴史を刻んできた資料をどう残していくのか。大阪府北部を震源とする最大震度6弱を記録した地震を受け、研究者らでつくるボランティア組織「歴史資料ネットワーク(史料ネット)」が緊急対応を始めている。その代表委員で、神戸大学大学院の奥村弘教授(日本近代史)に話を聞いた。
特集【大阪北部地震】
「地震の発生状況、9世紀に似ている」 大阪北部地震
――史料ネットは、どのような活動をしていますか。
災害が起きたときは古文書や自治会文書、写真など、地域の記憶をつなぐ歴史資料が、倒壊した家屋などと一緒に廃棄されることが多い。資料を救い出し、保全する活動を、阪神・淡路大震災のときから続けている。今回の地震では、発生当日に緊急会議を開き、7月6日までは被災者から電話やメールなどの連絡があれば、すぐに対応する体制にした。約300人の会員に情報収集もお願いした。
――対象とする資料はどのようなものなのでしょうか。
「残したい」と思ったモノについては、基本的に何でも残していくのが方針だ。古いモノでなくても、写真でもビデオでも構わない。集まったモノの中から、その地域では何が大切なのかを考えてもらう機会にもなる。地域には自分たちの歴史を伝えるモノが絶対にある。だから、すぐに捨てないでと強く訴えたい。
よく勘違いされるが、収集が本来の仕事ではなく、いったんお預かりした後、また元の所有者にお返しするのが基本だ。二次災害を避けようと、一時的に別の(安全な)場所に運び出すこともある。とくに今は梅雨の季節なので、大雨が降れば、資料が水にぬれてしまう心配もある。予防的な側面もある。被災者の生活復興支援の一部でもあるから、まずは相談してもらえるとありがたい。
――活動で重要なことは何でしょうか。
災害が起きる前に、どこにどんな資料があるのかということについて、地元の人たちと情報交換ができる関係をつくっておくのが理想だ。阪神のときには、地元の市民らでつくる歴史団体からさまざまな情報を得ることができた。今回の地震の被災地では、すぐにレスキューが必要な状況ではないようだが、家を補修したり、建て直したりするときに、資料が捨てられる恐れがある。阪神のときは江戸時代の村と現在の街を重ね、旧家なども訪ねた。自治体や住民と一緒に、長期にわたって継続的な活動を続けていく必要がある。
――課題はありますか。
集まった資料の保存場所の問題は全国規模で考える必要がある。構想段階だが、中山間地に空き家が増えている。使わない蔵を利用するのも一案だ。今回は、新潟県中越地震の経験がある新潟の博物館から場所提供の話もあった。
私たちの活動は「大事だ」と言い続けることで世の中に浸透していく。阪神のときは、がれきの撤去のときに残された写真などはあまり気にされなかったが、東日本大震災では丁寧に拾い出すようになった。記憶にかかわるものには価値があり、残しておくべきモノだという意識が定着してきた。地道な活動だが、一つ一つ問題を解決し、継続していきたい。(聞き手・渡義人)
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〈歴史資料ネットワーク〉 1995年に起きた阪神・淡路大震災をきっかけに、関西に拠点を置く歴史学会が中心となって結成。約2年間に段ボール1500箱分の資料を「救出」した。同じような取り組みは全国に広がり、現在は20団体以上が活動する。資料保存の相談は、ホームページ(
http://siryo-net.jp/
)や電話(078・803・5565、13~17時)で。