節目の日も、涙だった。
161キロ右腕の由規、ヤクルト退団へ 本人は移籍希望
ヤクルトの由規=本名・佐藤由規=が2日、来季の契約を結ばないことを伝えられた。「現役続行か、引退か。ぼろぼろになるまで野球をやりたい」と涙ながらに語り、他球団への移籍をめざすことを明らかにした。
まばゆすぎる輝きを放ってきた。仙台育英高時代は夏の甲子園で155キロを記録。唐川侑己(千葉・成田高―ロッテ)、中田翔(大阪桐蔭高―日本ハム)とともに「ビッグ3」として、将来を期待された。
2007年秋の高校生ドラフトでは5球団の競合の末、1巡目でヤクルト入り。熱望していた地元の楽天入りはかなわなかったが、両親や周囲の人たちへの感謝の思いを述べ、涙ながらの記者会見だった。
10年8月には161キロをマーク。スコアボードに出された神宮球場の球速表示に観客がどよめいた。これは、16年に日本ハムの大谷翔平(現エンゼルス)に抜かれるまで、日本投手最速記録だった。
だが、剛球に耐えられる体ができあがっていなかったのだろう。右肩は11年に悲鳴を上げ、13年に手術。ひじはともかく、肩の手術から復帰した投手は多くない。苦闘の日々が始まり、15年オフには育成選手契約で背番号「121」に。だが、地道なリハビリを続け、復活を果たした16年7月に5年ぶりの勝利を挙げると、そのときも涙があふれた。
「今年、上で投げられなかったら……」。そう現役引退も覚悟した今季は7試合に先発して1勝2敗。地元・仙台での6月2日の楽天戦を最後に登板はなかったが、「ここ、2、3年でパフォーマンスが上がっていたと思う」。
まだ28歳。痛みさえ癒えれば投げられるという思いが残る。一度は右肩痛からはい上がってきた経験もある。球団からは功労者として引退の花道も用意されたが、現役にこだわった。日本野球機構(NPB)だけでなく、その他のリーグでもプレーする覚悟だ。
思うように投げられず、9月はノースロー調整だったという。「試合に投げられる回復は見込めていない。状態を上げていければ」。再びマウンドに上がるのは厳しいかも知れない。それでも、復活の涙を信じ、由規は投げることをまだやめない。(笠井正基)