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TシャツにはTシャツを 対米半導体、通産官僚の逆襲

作者:佚名  来源:本站原创   更新:2018-12-20 11:49:14  点击:  切换到繁體中文

 

今回の外交文書公開で日米両政府が1980年代にぶつかり合う半導体貿易摩擦の議事録が19日に開示された。当時の日米の政府高官が繰り広げた「Tシャツの陣」を、当事者が振り返った。


1986年の「バイ・アメリカン」 今に続く圧力の源流


「外国製半導体のシェア20%に」秘密書簡 日米協議


【特集】外交文書公開


世界の半導体市場を日米が争う中、米側は日本市場は閉鎖的だと批判。86年5月の通産省での閣僚協議で、ヤイター通商代表が「世界の期待 輸入大国日本」というTシャツを渡辺美智雄通産相に渡し、おそろいでの撮影が報道されて先手を打った。


そこで87年3月、高級事務レベル協議後に外務省飯倉公館であったパーティーで、通産省の黒田真・通産審議官と渡辺修・米州大洋州課長はお返しのTシャツを着込み参加。2人は会場前方で背広を脱ぎ、スミス通商代表部次席代表ら米側出席者に胸元を見せた。


後に通産事務次官となる渡辺修氏の話では、Tシャツにあった言葉は「ROUTE301 NO TRAFFIC」(ルート301 通行止め)。米国が日本の貿易は不公正だとして通商法301条で制裁をしても、何の解決にもならないという牽制だった。


さらに2人がくるっと背中を向けると、そこには「COMPETITIVENESS」(競争力)。米国系半導体が日本で売れるかどうかは品質と販売努力次第だ、と逆襲した。


「みな大笑いだった。本国からの重圧の下で交渉に臨んでいると互いにわかっていたから」と渡辺氏。だが、翌月に当時のレーガン政権が制裁に踏みきり、黒田氏とスミス氏は協議で激突。日米半導体交渉は泥沼化し、決着したのは96年になってからだった。(藤田直央)



 

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