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がんばろうKOBE、最初は違った 平成災害とスポーツ

作者:佚名  来源:本站原创   更新:2019-4-1 16:28:41  点击:  切换到繁體中文

 

平成の30年で、スポーツやその環境はどう変わったのか。「災害」をキーワードに振り返ります。



「がんばろうKOBE」はどうやって生まれたのか。


1995年1月17日午前5時46分。6434人が犠牲になった阪神・淡路大震災は、当時、神戸市に本拠を置くプロ野球オリックスも直撃した。球団代表だった井箟重慶(いのうしげよし、84)は、数日後にグリーンスタジアム神戸(当時)にたどり着いた。試合開催は無理だと直感した。地下鉄は止まり、道路は寸断。だが、球団オーナー宮内義彦(83)の考えは違った。「お客さんが一人も来られなくても神戸の市民球団として試合をやろう」


開幕へ、混乱の日々。連日のように開いた会議でスローガンも話し合った。


「がんばれKOBE」という案が出て、却下された。被災地の球団なのに、ひとごとのようだと感じられた。


「がんばろうKOBE」はどう…



 

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