2日の選抜大会準決勝で敗れた明豊(大分)の外野手、藪田源君(3年)は、豊後水道に面した大分県臼杵市の下ノ江地区出身。1500人ほどが住む地区は人口減が進み、通っていた中学校は卒業直後に廃校になった。「同じような地域でも、野球を続ければ甲子園に出られると伝えたい」と全力プレーを見せた。
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一回、藪田君が2点適時二塁打を放つと、スタンドに駆けつけた小学校時代の同級生、伊賀上遥さんの父、浩さん(50)は「感動して涙が出た。大分のヒーローだし、下ノ江のヒーローです」と喜んだ。
山と海に囲まれた旧豊洋中学校が藪田君の母校。校舎では、目の前の海から波の音が聞こえたという。
市教委によると、豊洋中は1952年に開校し、ピークの62年度に163人が卒業したが、その後、生徒の減少が続いた。藪田君も小学校時代、少年野球チームが統合されて三つのチームを渡り歩いた。中学時代は野球部がなく、親に連れられるなどして大分市のチームの練習に通った。
豊洋中は、本来は2016年に廃校になるはずだったが、生徒たちの願いで、17年4月に延期された。最後の1年間は、藪田君を含む同級生11人だけになった。校内の草刈りは地域の人たちが手を貸してくれた。6人と5人に分かれて戦った体育祭では、お年寄りや近くの造船所で働く外国人ら100人以上が参加した。担任だった玉井鉄兵教諭(34)は「まちの運動会みたいな感じでした」。
今年、明豊の選抜出場が決まると、雑誌の記事などに藪田君の出身校として豊洋中の名前が掲載された。母美保さん(52)は自宅近くを散歩していて、「源ちゃんのおかげで学校の名前が載るからうれしい」と声をかけられたという。
今大会、1回戦で2安打6打点と活躍すると、当時の同級生から「次も頑張って」と、LINEでメッセージが次々と届いた。準々決勝があった3月31日は、定例の集まりを早めに終え、こぞってテレビ観戦した集落もあったという。豊洋中の卒業生で、臼杵市職員の河野紘輝さん(21)は「地元の誇り」と話す。
決勝には進めなかったが、藪田君は試合後、「全力でプレーしたことだけは言える」と胸を張った。(小林圭、角詠之)