高校野球応援の定番曲「コンバットマーチ」が作曲されてから半世紀がたち、作曲者の母校の早稲田大学にこのほど記念の石碑が建立された。春夏の甲子園でも演奏され続ける名曲が新たな歴史を刻んだ。 ニュースや動画をリアルタイムで!「バーチャル高校野球」 石碑は早大が東京都新宿区の敷地内に新設した多機能型スポーツ施設「早稲田アリーナ」(地上4階、地下2階、延べ約1万4千平方メートル)の入り口に建てられ、昨年12月のアリーナ内覧会で披露された。 マーチを作曲したのは早大応援部OBの三木佑二郎さん(75)=東京都豊島区。石碑の建立は同部OBらが企画した。三木さんの出身地の香川県・小豆島の石材店が約3カ月かけて製作。高さ1・45メートル、幅2・3メートルの七角形で岡山県・犬島の花崗岩(かこうがん)が使われている。黒い石の板には原譜に書かれた「ワセダ ワセダ」「ケイオウ タオセ オウ!」の歌詞も刻まれた。 マーチが誕生したのは1965年10月、東京六大学野球の優勝がかかった早慶戦前のこと。当時の応援は「紺碧(こんぺき)の空」など応援歌を歌うのが主流だった。 中学高校で吹奏楽部だった三木さんは「吹奏楽が主役になれる曲を作りたい」と考えた。高校野球で演奏されていた天理高校(奈良)の応援曲「ファンファーレ」をイメージして、下宿先で布団をかぶってトランペットを吹き、3日間徹夜して完成させた。早大は早慶戦を制して優勝。神宮球場から母校に帰る優勝パレードでは、沿道から曲に合わせた大合唱が起きたという。 当初の曲名は「攻撃のファンファーレ」だった。当時テレビ放送されていた米国ドラマ「コンバット!」と曲の出だしの雰囲気が似ていて、行進曲(マーチ)としても使われたことから、「コンバットマーチ」と呼ばれるようになった。 三木さんは応援部を引退する時、使い込んだ原譜に代わって楽譜を清書して部に残した。「早慶戦だけでなく、ほかの大学相手にも使えるようになればいいな」。歌詞にはあえて早稲田や慶応の校名を入れなかった。 大学卒業から約10年。大阪の建設会社で働いていた三木さんは、営業車で高校野球のラジオ中継を聞いていて耳を疑った。「甲子園でコンバットマーチが演奏されている」 早大応援部に問い合わせると、部員が出身高校に応援の仕方を教える応援指導をした際、曲も一緒に伝えられたとのことだった。 三木さんは「どの楽器も主役になれる旋律と、どの学校でも使える歌詞をつけたことで高校生に広く、長く受け入れられたと思う」と話した。「石碑が早大発祥の曲と知ってもらうきっかけになればうれしい。これからさらに半世紀、愛される曲であってほしい」(島脇健史) |
実は早慶戦がルーツ、甲子園のあの名曲 早大に石碑完成
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