今の佐賀や長崎にあたる「肥前(ひぜん)」は江戸時代、名刀の一大産地だった。刀工の初代忠吉(ただよし)らは、切れ味の番付で最上位に評価され、幕末の志士も愛用した。忠吉とその一門の名刀が、佐賀市の県立博物館で紹介されている。
首切り役人山田浅右衛門らの試し切りに基づいて書かれた刀剣の評価書「懐宝剣尺(かいほうけんしゃく)」(18世紀)は、切れ味に基づいて、古今の刀工の番付を作成。ランクが最上位にあたる「最上大業物(おおざわもの)」として、世に名高い孫六兼元(まごろくかねもと)や長曽祢虎徹(ながそねこてつ)(興里〈おきさと〉)らとともに、初代忠吉(忠広、橋本新左衛門)と三代忠吉という肥前の刀工を選んでいる。
初代忠吉は肥前刀の祖とされる、佐賀藩鍋島家のお抱え鍛冶(かじ)。一門から明治の9代まで100人を超す刀工が輩出し、将軍家へも献上された。幕末には「人斬り以蔵」として知られる土佐の岡田以蔵も愛用したとされる。
現在開催中の展覧会では、歴代忠吉一門の刀のほか、植物や南蛮船などの意匠が施された鐔(つば)など常時48件を展示中。会期中展示替えをしながら、計75件を紹介する予定。初代忠吉の刀は慶長5(1600)年の作で、切先が大きく、刀身の幅が広い実戦的なもの。同じ肥前の初代宗次の刀と拵(こしらえ)(17世紀、佐賀県重要文化財)は、豊臣秀吉による朝鮮出兵で藩祖鍋島直茂の軍に連れてこられ、のちに祐筆(ゆうひつ、書記)や書家として活躍した洪浩然(こうこうぜん)の刀と伝わる。6月4日からの展示では、初代司法卿で、佐賀の乱(佐賀戦争)で敗れた江藤新平の刀も展示される。
第2次大戦後、連合国の占領軍が関東で接収した刀剣類を保管していたが、20年ほど前に佐賀県に譲渡されたものも今回の展示品に多く含まれている。
川副麻理子・学芸員によると、最近のブームの影響で若い女性の姿も来場者に目立つという。「刀の持つ美しさを見てほしい」
「最上大業物 忠吉と肥前刀」は7月15日まで。毎週月曜休館だが、祝日は開館。無料。一部を除いて展示品は撮影が可能。問い合わせは県立博物館(0952・24・3947)へ。(小西孝司)