太平洋戦争中の激戦地に残された日本兵の遺品。日章旗や手紙、写真といったものが米軍兵士によって持ち帰られたが、50年ほど前、遺品を持ち主の遺族らに返す取り組みが米国で始まった。始めたのは米国に住む三重県出身の医師だ。半世紀近い地道な活動はいま、新たなメンバーに引き継がれている。
昨年11月、横浜市の野村恵美さん(54)は、長崎・五島列島で暮らす父親と一緒に1枚のはがきを受け取った。
はがきは、伯父の山口茂男さん(故人)が出征前に働いていた会社の上司に宛てたもの。野村さんによると、山口さんは西太平洋のマリアナ諸島で1944年7月ごろに戦死したという。
野村さんにとっての伯父は「家族で戦死した人がいる、としかわからなかった。どこかひとごとのようだった」という。はがきを目にして「若かった伯父は戦争から帰ったら、やりたいことがたくさんあったんだろう」と感じた。
野村さんを訪ねてはがきを届けたのは、米イリノイ州に住むジャガード千津子さん(67)。5年前から日本兵の遺品返還に携わっている。はがきは昨年5月、依頼を受けて元米海兵隊員の遺品を調べている中から出てきた11枚のうちの1枚だった。
ジャガードさんが加わる遺品返還活動は、米オハイオ州に住む加治安彦さん(85)が半世紀近くかけて築き上げてきたものだ。
加治さんは三重県出身で、祖父や父は軍医。加治さんは名古屋大医学部に進み、大学院を経て米国の大学で研究員になった。その後、米国で産婦人科医院を開業した。
70年ごろ、後に加治さんの妻となる女性が、米国の知人から相談を受けた。サイパン島から持ち帰られた旧日本兵の写真帳を持ち主に返したいという話だった。相談を引き継いだ加治さんは日本の新聞社に連絡し、写真帳は遺族のもとに戻ったという。
その出来事をきっかけに、軍装品のフリーマーケットで旧日本兵の遺品が多く売り出されていることを、加治さんは知った。寄せ書きされた日章旗や手帳、写真などを買い取り始めた。
住所や出身地がわかるものは、直接家族に連絡して返した。加治さんの活動を知って寄付してくれる人もいた。「もしも魂というものがあるならば、もう一度遺品と一緒に、家族のもとに戻ってほしい」という気持ちだった。
2004年ごろ、高校時代の親友だった西羽潔さん(故人)から「戦争を忘れないように、戦争の実情や記録の保全活動をしている」と書かれた年賀状をもらった。加治さんが、自らの日本兵の遺品返還活動を伝えたところ、パソコンが得意だった西羽さんが専用のホームページを制作。加治さんが収集した遺品を掲載し、20点以上を遺族に返すことができたという。しかし、西羽さんは10年に亡くなった。
今度は、西羽さんの長女が父の遺志を継ぐように加わったほか、加治さんの知人である米国の退役軍人らも参加してきた。ジャガードさんも後に加わった一人だ。
愛知県刈谷市出身で、大学卒業後に米国に渡ったジャガードさん。日本人の実父も米国人の義父も太平洋戦争で戦っていた。元米海兵隊員の義父が亡くなり、5年前に遺品整理をしていて見つけた日章旗を持ち主に返そうと思ったのが、活動に加わったきっかけだった。加治さんらのホームページを通じて、連絡をとった。
いま、活動のメンバーは加治さんを含め米国に3人、日本に4人。ジャガードさんは返還依頼に対応するだけでなく、新聞に遺品返還を呼びかける記事を寄稿したり、古物商や、遺産を売却処分する「エステートセール」などを回ったりして手がかりを探している。
ジャガードさんは「時間とともに遺族が少なくなっていく」と憂える。世代によっては関心がなく、受け取りをためらう遺族もいるという。「遺品を受け取る側と送る側が、ともに喜べる返還をしていきたい」
今秋、オハイオ州に暮らす加治さんに、初めて会いに行く。これまではメールでのやりとりだけだった。加治さんが買い集めた遺品の引き継ぎや、今後の活動について話し合う予定だ。(小川崇)