「本気。それを先生は体現してくださっていました」。上田の野球部主将で内野手の鶴巻智也(3年)はそう言うと、グラブに目をやった。そこには元同校野球部部長で、昨年末に36歳で亡くなった漆原伸也が日頃から口にしていた「日常がすべて」という言葉の刺繡(ししゅう)があった。
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出会いは2017年春。鶴巻は入学したての1年生。漆原も同校に転任してきたばかりだった。もともと高校球児で前任の軽井沢では野球部監督だった漆原。毎日のように練習に参加し、選手に交じってキャッチボールもした。特徴は高くよく通る声。選手の誰よりも大きく、グラウンドの隅々に響かせていた。
鶴巻は中学時代、「声」で悔しい思いをしていた。2年生の3月に出場した全国大会。リードで迎えた初戦の最終回、満塁のピンチを迎えた。「絶対にミスできない」。鶴巻は内野を守りながら、極度の緊張で声出しができなかった。結果はサヨナラ負け。「自分がもっともり立てるべきだった」。そんな鶴巻に、日頃から練習中に声を張り上げる漆原はまぶしかった。
助けられた場面は何度もあった。
高1の夏。3年生が引退して活気がなく、鶴巻自身も暑さの中で目的を見失っていた。そんなとき、漆原がかけたのが「日常がすべて」という言葉。「自信は努力から」という言葉が鶴巻のもともとの座右の銘。それに似た漆原の言葉は心に響いた。奮起して練習に励み、その年の冬に対外試合で初スタメンをつかんだ。
2年生になってからも鶴巻は誰より率先して声を出すようになっていた。仲間もこうした態度を評価し、部員投票で主将に選ばれた。常に声を出し続ける漆原につられるように、鶴巻はチームを鼓舞し続けた。
その年の冬。いつも通りの練習中、漆原は突然倒れた。桜井剛監督や部員が心臓マッサージを施し、救急搬送されたが、翌日、息を引き取った。突然の死だった。
漆原の声は、もうグラウンドに響かなくなった。それでも鶴巻は声を出し続けた。一緒に仲間を引っ張ってきた内堀隼(3年)は「僕たち3年生が、下級生たちをリードしなければいけない」。最近は試合や練習を問わず、大きく前向きな声が絶えなくなった。
今春の県大会地区予選1回戦の小海戦。二回に1点を先取されるが、三回に鶴巻の犠飛や内堀の適時二塁打などで一気に3得点、逆転勝ちを収めた。マネジャーの小木曽恋(2年)は、「漆原先生に頼らず、自分たちの声で雰囲気を作ることができた試合」と言う。
そして迎える夏の大会。
鶴巻は昨年春に縫い付けた「日常がすべて」という言葉とともに臨むつもりだ。「先生は自分たちが気づかないところをいつも見てくださっていた。今の僕らを見て、何を思うのかは分からないけど、見ていてほしいと思ってます」
言葉を聞くことはもうできない。でも「日常」を積み上げた自信は、ある。=敬称略