昨年、100回を数えた全国高校野球選手権大会。神奈川県内でも、学校独自の伝統を受け継ぎ、卒業生との絆に育まれる学校も多い。
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「♪光陵の空 色冴(さ)えて 久遠の光 満つる時 決然立てば 万緑の 命の泉 わき出ずる……」
練習前、手をつないで輪になり、光陵高(横浜市)の部員たちがグラウンドに学校の応援歌を響かせる。
学校の記念誌によると、この応援歌ができたのは1968年。当時、校歌を生徒から公募。卒業後に指揮者として活躍する2期生の作品が選ばれた。何代にも渡って歌い継がれてきたが、いつしか現役の生徒たちは歌わなくなった。
創立50周年を祝う2015年の記念式典で、当時の川村太志監督が、卒業生による応援歌の合唱を聞いた。「せっかくの応援歌を生徒が歌えないのは寂しい。野球部から復活させられたら」と、練習や試合の前に歌うことを提案。以来、部員たちは口伝えで応援歌を覚え、歌ってきた。
「低い音程で始まり、だんだん盛り上がる部分がかっこよい」と森俊也君(3年)。1年生で公式戦の前に初めて歌った時、鳥肌が立つほど「やるぞ」と思った。今でも、歌うたびにその感覚が思い出され、集中できる。
公式戦には今もたくさんのOBが訪れ、たとえコールドで敗れても温かい声援を送ってくれる。普段の練習に参加してくれるOBもいる。「そうした人たちとのつながりに感謝しながら、夏こそ勝ち上がりたい」と話す。
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6月初旬の日曜日。横浜翠嵐高(横浜市)の食堂で、野球部OB会による現役部員激励会が開かれた。
「頼むぞ。かっせかっせ!」「頑張れ頑張れ!」
壇上の3年生一人ひとりにエールを送るのは、1958年卒業の長崎隆則さん(79)。定年後、毎週のようにグラウンドを訪れ、数年前までは自らノックも打って母校を応援してきた。
激励会でのエールも毎年のこと。「彼はなぁ、チャンスメーカーなんだよ」「緊張しがちだから、ノックの気分で打席に入って」と、部員の特徴を捉えた紹介や応援も。エールを受けた林俊一郎君(3年)は「1年生のころから見ていて楽しみにしていた。ついに自分の夏が来たと、やる気が出た」。
長崎さんの時代は、布のスパイクですら、先輩からもらい、グラブは母親が手袋に綿を入れて作ってくれた。戦後は学校敷地の一部を米軍に接収されたといい、カマボコ兵舎に住む米兵にボールやバットをもらったという話も身近に聞いた。OB会長の白倉仁さん(65)は72年卒業だが、そのころも、練習では折れづらい「竹バット」ばかりを使い、破れたボールは授業中に縫い直して大切に使った。
OB会は、そんな苦労を知る卒業生が集まり、現役部員たちの練習環境を少しでもよくしたいと、82年に結成された。打撃ネットやマシンなどを寄贈したほか、夏の大会の応援に役立つよう、部員一人ひとりの写真やコメントを載せた「選手名鑑」を作り、OBと現役をつなぐ。
「無条件で応援したくなる。それが母校愛。野球という人生の財産になるスポーツで精進する後輩たちを、全力で応援したい」(木下こゆる)