この2ヶ月余りの間に、私たちは歴史を自ら経験し、歴史に立ち会い、さらには手を携えてともに歴史を創ってきた。楚天都市報が伝えた。
突然襲ってきた新型コロナウイルス感染拡大により、武漢は例年のように軽やかにきらめく春を迎えることができなくなり、全世界が緊迫の眼差しで注視する中で、そして14億人の声にならない叫びの中で、苦難に満ちたウイルスとの闘いを繰り広げることとなった。
毅然としつつも悲壮感に満ちた都市封鎖、人の流れに逆行して支援に駆け付ける医療チーム、そして世界を驚かせたスピード。大きな歴史の流れの中には移ろう時代の刻印が押され、その渦中に身を置いた一人ひとりにもそれぞれの物語が刻まれた。決して消えることのない瞬間を、私たちは永遠に心に刻もう。決して消えることのない未来を、私たちは待ち望んでいる。
① 都市封鎖 1月23日10時 武漢は正式に感染状況予防・抑制1号通告を実施し、空港や鉄道駅など武漢市から離れる交通ルートを閉鎖した。この後2ヶ月近く、武漢市はウイルスと「硝煙のない戦い」を展開することになった。
② 火神山 1月28日 夜を徹して工事が続く火神山医院の建設現場。新型コロナウイルス感染者を収容するために建てられたこの仮設病院は、わずか1週間で完成。2月8日、患者1500人を収容可能なもう1つの仮設病院、雷神山医院も完成した。
③ 逆行 2月4日 人の流れに逆行し、武漢へと向かう飛行機に搭乗する雲南省の武漢支援医療チーム。除夕(旧暦大晦日、今年は1月24日)の夜から、国は「1省が1市を支援」するペアリング支援措置を取り、湖北省に4万人以上からなる医療チームを派遣した。
④ 方艙 2月5日 洪山体育館方艙医院(臨時医療施設)が完成。武漢市では体育館やエキシビションセンターなどの場所を利用し、相次いで16ヶ所の「方艙医院」を設置、軽症患者を収容した。
⑤ 軍による支援 2月13日 輸送機「運-20」が出動し、2000人以上の指揮官・戦闘員及び予防・抑制物資を武漢に輸送。中央軍事委員会の許可を得て、1月24日から軍隊計3000人以上が武漢の医療支援に入った。