2018年に中国で亡くなったオーストラリア人のフィリップ・アンドリュー・ハンコックさんの臓器は中国人5人の体の中で生き続けている。彼の肝臓は四川省成都市の医師に、左の腎臓は2人の子供の母親である女性に、右の腎臓は重慶の農村の医師に、角膜の一つはトラックの運転手をしていた若者に、もう一つの角膜は両目がほぼ失明していた農家の女性に移植された。そしてフィリップさんが亡くなってから早くも2年半の月日が経とうとしている。中国青年報が報じた。
2018年5月9日、フィリップさんは重慶医科大学附属第一病院で脳死と宣告された。医師や看護師、赤十字会の職員が一列に並び、頭を下げ、偉大なドナーである彼に黙祷を奉げた。そして、臓器を摘出する手術が始められた。
フィリップさんの臓器は金属製の膿盆に置かれ、目の角膜は保存液が入っている瓶に入れられた。その後、医療従事者が膿盆を持って、オペ室3室に入り、2人の尿毒症の患者と1人の肝硬変末期の患者に、まだ温かさの残る臓器が移植された。これにより、それぞれのレシピエントは人生をリスタートさせるチャンスを得た。数日後、角膜を移植されたレシピエント二人は再び美しい世界を見ることができるようになった。
当時、臓器や角膜の提供を受けたレシピエント5人は皆知り合いではなく、5人共、自分の命を救い、運命を変えてくれたドナーが27歳のオーストラリア人であることも知らなかった。
オペ室に入る前、フィリップさんの家族は最後のお別れをした。父親と母親、兄、妹がベッドを囲み、小さな声で何か語りかけていた。60歳を過ぎた父親のピーター・ハンコックさんは、息子の手を握り、何度も口づけしていた。
ピーターさんは取材に対して、「7歳か8歳の時、息子は教師になりたいと言っていた。16歳の時にはギターに興味を持ち、その後は東アジアの文化に興味を持つようになった。中国語スピーチコンテストに参加して、2位になり、北京を3週間旅行したこともある。大学卒業後、息子は重慶に行くことを決め、西南大学の教師になった。そして、シドニーにいた時と同じく、ギターを2本買った」と語った。
フィリップさんには独特のユーモアのセンスがあり、写真の多くは笑顔を浮かべている。シドニーの家の壁には笑顔を浮かべた若いフィリップさんの写真がたくさん貼られている。
フィリップさんは23歳の時に、兄と同じ糖尿病と診断された。彼は両親から送られてきた注射薬を毎日自分で3‐4本打っていた。やむを得ず外食する時は、まずお腹に注射薬を打っていた。しかし、周囲のほとんどの人は彼の病気のことは知らなかったという。
18歳の時、フィリップさんは母親に臓器提供について言及し、「生きている時は教育者、死んでからはドナーになって他の人を助けたい」と話していたという。「中国の若者でもオーストラリアの若者でも、若い時にそんなことを考える人はほとんどいないでしょう」とピーターさん。
フィリップさんは、中国で7人目、重慶で初の外国人ドナーとなった。
重慶赤十字会臓器移植管理センターの周学躍主任は、「近年、ドナーになる若者がますます増えている。重慶でドナー登録している人のうち、30歳以下が65%、30-45歳が24%を占めている。実際に臓器を提供する人のほとんどが意外な原因で死亡している。例えば、デリバリー配達員が事故に遭ったり、若者が脳血管疾患で突然死したりするケースがますます増えている」と説明する。
2015年1月1日から、中国は死刑囚の臓器移植を停止した。そのため、亡くなった一般の人々からの提供が、臓器移植の唯一の合法的な手段となった。臓器提供事業が始まってからの10年の間に、ドナー登録者は累計で251万人、実際に臓器を提供した人の数は3万人以上に上り、9万人以上の命が救われてきた。「それでも、毎年、30万人が臓器移植を待っている。そのほとんどが待っている間に亡くなる」と周主任。
重慶市臓器提供記念パークには、フィリップさんの小さな記念碑が建てられ、「彼の命は中国人5人の体内で生き続けている」と刻まれ、パンダと一緒に映るフィリップさんの写真が埋め込まれているほか、横には金属製のギターが立てられている。(編集KN)
「人民網日本語版」2020年12月16日