D組のポルトガルがイランに快勝し、3位に入った66年イングランド大会以来40年ぶりの決勝トーナメント進出を決めた。イラン戦で先制点を決め、歴史的な勝利の立役者となったデコは実はサッカー大国、ブラジルの出身。今大会ではデコのように出身国とは違う代表ユニホームを着て活躍する選手が目立つ。
パウレタ、ロナルドら同国の強力なアタッカー陣を巧みなパスワークで自在に操るデコは19歳でポルトガルに渡り、クラブでメキメキと力をつけた。04年にポルト(ポルトガル)で欧州チャンピオンズリーグを制覇し、今年はバルセロナ(スペイン)の主力として2度目の欧州クラブ覇者の座を手にした。
デコは、ブラジル人のスコラリ監督の強い要請もあり、ポルトガル国籍を取得。03年に代表入りした当初は、チーム内で「よそ者」扱いされるなど批判も多かったが、04年欧州選手権でチームを準優勝に導いた活躍が認められ、現在の地位を築いた。ポルトガルの隣国スペインでは、やはりブラジル出身のセナ(ビリャレアル)が国籍を取得しW杯代表に選ばれている。
初出場国が多いアフリカでは大会前、コートジボワール選手の国籍変更問題が注目を集めた。司令塔カルー(パリ・サンジェルマン)の実弟、サロモン・カルー(フェイエノールト)が祖国からの代表招集を断り、オランダからのW杯出場を希望。結局、国籍取得の条件を満たさず認められなかったが、オランダとコートジボワールは今回同じC組に入ったため、「兄弟対決」が実現する可能性もあった。
欧州の植民地支配から独立した国が多いアフリカでは同様のケースは枚挙にいとまがない。アンゴラのMFフィゲイレド(バルジン)はアンゴラ生まれだが、内戦に伴って旧宗主国のポルトガルに移住。長年、同国内のクラブでプレーしていたが、チーム強化に乗り出したアンゴラ協会の要請でアンゴラ代表デビュー。W杯出場を果たしたことで、思いもかけなかった晴れの舞台に立つことになった。
このほか、チュニジアのドスサントスはブラジル出身で04年にチュニジア国籍を取得。エースとして期待されている。日本でもブラジル出身の三都主(浦和)が日本国籍を取得して、日韓大会に続き2度目のW杯出場を果たした。98年フランス大会では、やはりブラジル出身の呂比須がストライカーとしてW杯初出場に貢献している。
弱小国が厳しいW杯予選を勝ち抜いたり、本大会での上位進出を狙って国籍変更させるケースが出てくる可能性もある。賛否はさておき、チーム強化の手段として、今後も増えていくことが予想される。【仁瓶和弥】
毎日新聞 2006年6月18日 22時00分 (最終更新時間 6月18日 22時08分)