外務事務次官などを務め、沖縄返還交渉や日中国交正常化交渉に携わった栗山尚一(くりやま・たかかず)氏が1日午前9時40分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。83歳だった。告別式の日取りなどは未定。
東京大法学部を中退し、1954年に外務省入省。佐藤栄作政権の沖縄返還交渉に関わったほか、72年の日中国交正常化交渉では条約課長として日中共同声明の原案作成に携わった。次官時代の91年には湾岸戦争の対応に当たった。駐米大使や宮内庁参与なども務めた。
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