参院の新会派「新緑風会」の結成会合であいさつする連合の山岸章会長(中央)。右は細川護熙首相=1994年3月、東京都内。肩書は当時
連合初代会長の山岸章氏が死去した。労組間の対立が続いた労働界で中央組織の設立に尽力し、政界では「55年体制」を崩壊させた非自民の細川政権樹立にも関わった「異能」の労働運動家だった。
連合の初代会長、山岸章さん死去 86歳
海軍予科練から戦後、逓信省(現総務省)に入り、電電公社(現NTTグループ)の労組委員長として公社の民営化に向き合った。
官庁系の労組と民間労組をともに知っていることを生かし、官公労中心の「総評」や「同盟」などに分かれて対立していた労組を束ね上げた。1989年に発足した連合の初代会長として組合員約800万人の先頭に立ち、待遇改善などに取り組んだ。
94年の会長退任後も労組への愛情は変わらず、連合に辛口の提言を続けた。安倍政権が企業に賃上げを促した「官製春闘」にも「まるで首相が労働者のリーダーだ」と皮肉まじりのメッセージを送った。連合の神津里季生会長は15日、「我が国労働運動の悲願だった労働戦線統一に奔走し、相互信頼を醸成した功績は極めて大きい」とたたえた。
山岸氏は現実政治の舞台裏でも活発に動き、戦後続いた「55年体制」を終わらせた細川連立政権の樹立に力を尽くした。生活の党と山本太郎となかまたちの小沢一郎代表は15日、朝日新聞の取材に「日本の歴史をつくった一人だ。彼のようなリーダーがいたから大同団結できた」と語った。
93年発足の細川政権は日本新党や社会党、新生党など「非自民」8党派による連立政権だった。直前の衆院選で野党第1党だった社会は議席を減らし、山岸氏は落胆していたが、小沢氏は「あきらめる必要はない。(野党勢力を)全部足せば過半数にいく」と励ましたという。
山岸氏は自らまとめた連合の組織力を背景に、各党・会派を糾合した。山岸氏は2013年の朝日新聞のインタビューで、自民党にいた小沢氏と極秘裏に面会し、小沢氏から野党提出の内閣不信任決議案に「賛成し、自民を離脱する」との言質をとり、「夢に見た政権奪取ができる」と喜んだと振り返った。
細川護熙(もりひろ)元首相は「細川政権の生みの親の一人。密に公邸にいらっしゃったことや政労会談をやるなど付き合いが深かった」と朝日新聞にコメントを出した。
野党各党はいま、再び連携を模索するが、順調と言えない面もある。小沢氏は「『彼、ありせば』という思いだ」と山岸氏をしのんだ。民進党の岡田克也代表は15日、「日本の政治の方向性にも多大な影響を与え続けた方だった」とコメントした。