避難所となっている熊本市中央区の西山中学校のグラウンドに並んだ車。体育館や教室が開放されているが、車中泊をしている人も多いという=17日午後8時9分、細川卓撮影
地震の影響で避難所で過ごす人は、熊本県内だけで11万人に上る。17日も余震は相次ぎ、不安な日が続く。
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熊本地震 災害時の生活情報
熊本市中央区の7階建てマンションの2階に夫婦で住む女性(79)は16日未明の「本震」の後、自宅を出て、公園で車中泊を続けている。最初は近くの小学校に避難したが、水をもらうために、2時間以上待った。「年寄り2人にはきつか」。だが、建物内だと余震時の転落物が怖く「まだ帰れそうにない」。
中央区のマンション4階に1人で暮らす女性(49)は「本震」直後、近所の小学校に避難した。だが、建物に亀裂が入り、急きょ隣の中学校へ。指定されたのは校舎の2階で「万一の場合、階段が使えず外へ逃げられなくなるかもしれない」と考え、毛布にくるまって校庭で一夜を明かした。
避難所に指定されていない熊本県庁には、多くの被災者が集まる。中央区の40代の会社員男性も、小中学生の2人の子どもと来た。16日未明に近くの中学校に避難したが、高齢者と乳幼児連れが優先で青空待機状態だったといい、親戚に「県庁にはトイレと水がある」と聞いて移動した。県によると、県庁には16日未明から朝まで約350人、16日夜には約490人が集まった。
熊本県益城町の避難所にいた林田千鶴さん(42)は、夫、長男(小2)、長女(3)、次女(1)の5人で3日3晩、車中泊を続けている。「次女は熱があるが、解熱剤は1日分しかない。風邪薬もない」。食料も、水も足りず、この日は1時間半、至るところで道路が寸断された町を走り、コンビニを見つけた。3時間並んで買えたのは、数個のおにぎりくらいだった。ガソリンスタンドもなく、不安が膨らんだ。
繰り返し襲われた大きな地震で、自宅も、営む自動車板金工場もぐちゃぐちゃになった。14、15日の夜は自宅近くの道に車を止めて寝たが、16日未明の大きな揺れの後、不安になり、17日に避難所まで来た。ただ、避難所の施設はガラスが割れ、中には入れない。期待した食料や毛布も、手に入らなかった。「水を入れるポリタンクもない。すべてに困っています」
今回の地震は余震が多いことが特徴だ。17日に熊本市や益城町の避難所を調査した兵庫県立大学の木村玲欧(れお)准教授(防災心理学)は自宅の倒壊を心配する人たちの避難生活が長期化することを懸念する。「情報や物資をうまく分配し、地域やボランティアに手伝ってもらいながら、避難者の見回りをして医者ら専門家に伝えるといったサービスの充実が求められる」