(C)「ペコロスの母の贈り物」(朝日新聞出版)の一コマ
漫画家の岡野雄一さん(66)の母光江さんは、2014年の夏に91歳で亡くなりました。認知症になった光江さんとの会話は次第に減っていきますが、その言葉は今も岡野さんの中に息づいています。
介護とわたしたち
「介護 あのとき、あの言葉」
東京で暮らしていた岡野さんが離婚し、息子を連れて長崎市に戻ってきたのは1990年ごろ。父の覚(さとる)さんが80歳で亡くなった2000年の暮れぐらいから、光江さんはつじつまの合わない受け答えをしたり、妙な味のみそ汁をつくったりするようになった。
「当時は夜のお店を紹介するタウン誌の仕事をしていて、その中で漫画も描かせてもらっていました。突拍子もないことを言う母がネタ。例えば仕事中に母が携帯に電話をしてきて、『冷蔵庫がしかぶった(おもらしをした)』と言うんです」
「何事かと戻ってみると、冷蔵庫のプラグをコンセントから抜いてしまっていたんですね。冷凍庫の中身が溶けて、周りは水浸し。きっと電気を節約するつもりだったんでしょう。家中のプラグが抜かれていましたから。そういえば最近、昔の冷凍庫から『開けっ放しにするな』と書いた紙が出てきましたよ」
こんな生活が5年ほど続いた後、光江さんは脳梗塞(こうそく)で倒れ、右半身が動かなくなって車いすが必要になった。退院後は長崎市内のグループホームに入居した。