蜷川幸雄さんとの思い出を語る鈴木杏さん(左)と勝地涼さん=東京都港区の青山葬儀所
弔問には蜷川さんとともに演劇をつくってきた若手からベテランまで多くの俳優が訪れ、蜷川さんへのそれぞれの思いを語った。
蜷川さん、最後の10日間は「ありがとう」 通夜始まる
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「海辺のカフカ」などに出演した俳優鈴木杏(あん)さんの話 いろいろな思い出がよみがえってきます。表情や背中の動き、怒った顔やうれしそうな顔も思い出します。蜷川さんだったら、何をおっしゃったかと、ことあるごとに思い出します。「杏ちゃんの動きが悪い」など、たくさん怒られました。世界の物事や生き方、演劇というもの、たくさんのものを見せて、教えて下さいました。その一つ一つがなければ私は演劇をやっていなかったし、役者としていなかったと思います。感謝してもしきれません。照れくさくて面と向かって言えなかったけれど、本当に今でも大好きです。
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俳優溝端淳平さんの話 昨秋の「ヴェローナの二紳士」では蜷川さんは車いすでしたが、演出家の熱量はさらに増すぐらいで、僕たちみたいな新人に死ぬ気で命を削りながら演出してくださった。一生忘れられない光景です。「とにかく苦しめ。楽な道に何もない」とおっしゃった。あの厳しい演出を受けられなくなると思うと本当に残念です。厳しい言葉の根底には役者を育てようという愛がある方だった。檄(げき)を飛ばしてもらったことを糧に精進したい。
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俳優の西岡徳馬さんの話 蜷川さんには以前、「徳馬とは戦友だから」と言われた。1974年「ロミオとジュリエット」の時、1対100でこの人はケンカ売っているなという感覚で闘っていた。ぼくも蜷川さんサイドについて体制派と闘った。「ロミオとジュリエット」の開幕30分前に、蜷川さんが楽屋に来てズドンと倒れたことがありました。「こんなんで、おれは人目にさらしていいのか」と言っていた。それで「ああ、この人を信じられる」と思ったんですよ。
「何でそんなに仕事すんの」と聞いた時、「ただのじいさんになりたくない」と言っていました。現役を走り続けて、よくぞここまで闘い、立派でした。芸術家としてはステキな姿勢ですよね。