葬儀の後に記者の質問に答える俳優の市村正親さん=16日午後、東京都港区、鬼室黎撮影
16日に東京都港区の青山葬儀所で行われた演出家の蜷川幸雄さんの葬儀では、平幹二朗さん、大竹しのぶさん、吉田鋼太郎さん、小栗旬さん、藤原竜也さんの5人の俳優が弔辞を述べた。演劇界にきらめいていた巨星が失われたが、「蜷川さんの魂を引き継ぐ」と、しっかりバトンを受け継ぐことが誓われた。
特集:蜷川幸雄さん逝く
■俳優の大竹しのぶさんの弔辞
蜷川さんへ。「俺さあ、日常捨てたから。俺さあ、まだ枯れてないよ。だからさあ、何か、もう1本芝居つくろうよ」。すばらしかった「リチャード二世」観劇後の私に蜷川さんがおっしゃってくださった言葉です。そしてその言葉通り、リハビリする時間があるなら稽古場に行きたいとおっしゃり、その後も何本も芝居を作り上げました。本当にすさまじいエネルギーと信念で、最後まで走り続けられました。
こうしている今も、私は蜷川さんに出会えた喜びと、そして感謝の言葉しか浮かんできません。稽古場に響き渡るあの怒鳴り声、他では決して味わうことができないあの心地よい緊張感、いい芝居をしたときに見せてくださるあの最高の笑顔、それらはこれからの私の演劇人生のなかで色あせることなく、輝き続けることでしょう。
蜷川さんにもう会えないことが知らされたあの夜、「身毒丸」に出演していた、当時小学生だった男の子からメールが届きました。「しのぶさん、ぼく悲しいよ。ぼくね、早く大人になって、もう一度、蜷川さんの芝居に出たかったの」。どれだけ多くの人がそう思っていることでしょうか。「マクベス」で初めて海外公演を経験させていただいたとき、本番前の劇場の客席を私はうれしくて走り回っていました。自分という人間を知らない人たちの前で、純粋に芝居ができるという喜びでいっぱいでした。そんな私を蜷川さんは本当にうれしそうに見て、おっしゃいました。「ねえ、俺がさ、海外に出る理由わかる? いつも勝負していたいんだ。客観的なところに自分を置いて、追い込まないとさ、ダメになっちゃうだろ」。蜷川さんのそんな思いが、日本と世界をつなげているんだということを実感しました。
9日にお見舞いに伺ったとき、苦しい呼吸のなかで必死に生きようとしていらっしゃいました。「まだやれる」「まだつくりたい芝居があるんだ」。そんな声が聞こえてくるようでした。目の前のテーブルには、今年つくる予定だった芝居の台本が3冊おいてありました。「蜷川さん、稽古場でお待ちしていますね」。私は少しだけ大きな声で話しかけました。するとその瞬間、はっきりと目を開けてくださり、私たちは数秒間、見つめ合いました。
そうなのです。稽古場にいなくては、劇場にいなくては、蜷川幸雄は蜷川幸雄ではないんです。いま、あなたがいなくなって、私たちはこれからどうすればいいのでしょうか。でも、私がニューヨークで走り回ったように、劇場という場所にはその塵(ちり)にさえ、先人たちの魂が宿ると言われています。あなたの魂の叫びはいま、世界中の劇場に、それを見た観客の心のなかに、そしてもちろん、私たちのなかに永遠に残っていきます。それを胸に私たちは芝居を続けるしかないんです。「どうだあ」と蜷川さんがいつふらっと稽古場に現れてもいいように、一生懸命演劇を続けていくしかないのです。だから、蜷川さん、稽古場でお待ちしています。いつも、いつの日も。本当にありがとうございました。親愛なるニーナへ。
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