アルプス席で西村舜君の打席を見守る母親の有希さん=20日午前、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場、西村圭史撮影
(20日、高校野球準決勝 作新学院10―2明徳義塾)
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明徳義塾(高知)には、太陽が昇るより早くから練習した努力家がいる。左翼手の西村舜(しゅん)君(3年)。時には午前3時から寮の部屋を出て自主練習に励んだこともあった。原動力は、女手一つで育て励ましてくれた母への感謝だ。20日の大会第13日第1試合、作新学院(栃木)との準決勝で2―10で敗れたが、母が見守る中、三回に本塁打を放つなど輝いた。
実家は滋賀県湖南市。物心ついた時から母・有希さん(45)が1人で兄姉と自分の3人を育ててくれた。職業はトラック運転手。中学の時は野球チームの遠征でバスの運転もしてくれた。「平日は仕事、土日は野球をしている兄と僕の応援に来てくれた。お母さんに休む時間はなかった」。野球道具などにお金もかかる。感謝の思いをずっと抱いてきた。
野球に専念できる環境があると思い、明徳義塾に進学。母への恩返しは野球で結果を残すこと。1年の冬から朝練習を始めた。練習開始は午前5時からどんどん早まり、早いときには午前3時からナイター用の照明を使って打撃練習に励むこともあったという。
昨夏の高知大会で背番号20でメンバー入り。有希さんは「自分ができることをしっかりやりなさい」。決勝に代打で出て、逆転適時三塁打を放ち甲子園を決めた。
今春の選抜大会に出場したが、龍谷大平安(京都)戦で4打数無安打で敗れ、その後も打撃不振で自信を無くした。もう野球をやめようか。ずっと続けたくても大学に進学したら学費がかかる。母に負担をかけてまで野球をする意味があるのか――。次第に朝練をする日も減った。
「野球をやめようと思う」。5月末、電話で打ち明けた。有希さんは「もうやめていいと思うならやめていい。やりたい気持ちが少しでもあるなら、後悔してもしらんで」。頑張れと励ますのは重圧になる、という思いから出た言葉だ。
3日間寮で考えた。「お母さんの言う通りだ。まだ結果を出せていない。自分から野球をとったら何も残らない」。打撃コーチに助言を求め、フォームを改善した。高知大会直前から調子が上がり、チームトップの6打点。準決勝で決勝点をあげ、決勝では本塁打も放った。甲子園でも好調を維持した。準々決勝で戦った鳴門(徳島)からは要注意選手にあげられた。
「甲子園で活躍することがお母さんにとって一番うれしいことだと思う」。有希さんは甲子園の応援に必ず駆けつけてくれた。1試合でも多く見せたいという思いで準決勝まで勝ち上がった。有希さんは「悔しいけど、頑張っている姿を見られてもう十分です」。西村君は試合後、「素直にありがとうと言いたい」と声を震わせた。ホームランボールは有希さんに渡すつもりだ。(高木智也、西村圭史)