女子レスリングの歩みについて話す宮澤正幸さん=東京都文京区
メダルラッシュに沸く女子レスリング。日本レスリング協会顧問で、レスリング振興に生涯を捧げてきた宮澤正幸さん(86)=東京都世田谷区=は「一瞬の勝負を決する選手の精神力を引き上げた指導者と選手の絶妙な調和。最高の時だ」としみじみ語る。
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宮澤さんは拓大レスリング部OB。日刊スポーツの記者のかたわら、1967~74年に同部監督にも就任した。半世紀以上前、1歳の長女を日本初の女子レスリング選手として登録し、女子の歴史の一歩を刻んだ人でもある。
記者になった50年代半ば、日本ではレスリングは男子だけのものだった。「体格や技のみならず、精神力が問われるスポーツ。芯の強い女性にできないはずはない」。確信した宮澤さんは59年の長女誕生からまもなく、八田一朗日本レスリング協会会長(当時)に「国際規定に性別条項はありますか」と聞いてみた。「ないよ、きみ」。即答だった。
「誰かが第1号にならねば始まらない」。年齢条項もないことを知った宮澤さんは60年、1歳の長女の登録を申請。同時に社会人レスリング選手権への出場を申し込んだ。階級は最軽量、52キロ以下のフライ級。よちよち歩きだった長女は計量に参加できず「失格」となったが、日本初の女子選手の名前が刻まれた。
東京五輪が開かれた64年には…