漱石が楚人冠に出した未公開の書簡。楚人冠の長女の死を悼む弔詞(上)と自宅の電話番号などを伝えている手紙=千葉県我孫子市の杉村楚人冠記念館
文豪・夏目漱石が、千葉県我孫子市に住んだジャーナリスト・杉村楚人冠(そじんかん)に出した未公開の書簡が2通見つかった。2人の交流はこれまでの書簡で知られていたが、市は「深いつながりを改めて示す貴重な資料だ」としている。
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漱石は1907(明治40)年に入社した東京朝日新聞で、すでに特派員などとして活躍していた楚人冠と知り合い、死ぬまで9年にわたって親交があった。楚人冠は、「修善寺の大患」で一時危篤になった漱石を静岡・修善寺に見舞ったこともある。
見つかった2通のうち1通は12(大正元)年12月24日付。漱石が東京朝日に創設した「文芸欄」が社内対立で廃止され、出社しなくなった後で、心配する楚人冠に「社へ出ぬ事は無精にて怒つてるにあらず 怒つたつて僕のやうなものがどう致す訳にも相成かね候……」と記している。
この時期に漱石は自宅に電話を…