判決後の記者会見で、これまでの思いを語る大川小児童の遺族たち=26日午後4時10分、仙台市青葉区、福留庸友撮影
子どもたちは救える命だった。東日本大震災の津波で児童ら84人が犠牲になった宮城県石巻市の大川小学校の惨事をめぐる訴訟で、仙台地裁は26日、学校側の過失責任を認めた。遺族らは改めて再発防止を強く願い、その思いは学校現場で生かされようとしている。
大川小訴訟、14億円賠償命令 津波襲来「予見できた」
大川小学校津波訴訟
「この判決により、大川小の悲劇が繰り返されることがないようにしてほしい」
閉廷後、原告団長の今野浩行さん(54)は涙をぬぐった。6年生だった長男の大輔君(当時12)を亡くした。もし敗訴すれば、児童を校庭に50分近くとどめ、津波が迫る川の方へ誘導した学校の対応が問題なしとされてしまう。眠れない日が続いた。だからこそ、「ほっとした」という言葉が口をついて出た。
仙台市内で開かれた記者会見の会場には、亡くなった児童たちの遺影とともに、「先生の言うことを聞いていたのに!!」と書かれた紙が張られた。親たちが込めた思いだった。
ブルーシートにくるまれ、並べられた遺体の記憶。わが子の体に付いた泥を舌でなめて取った。今も、見つからない子を必死で捜し続ける親がいる。5年7カ月が過ぎても、みんな苦しみの中にいる。
今野さんは「津波を予想し、子…