オスプレイの事故現場を指さす玉城昭亘さん=沖縄県名護市安部、岡田玄撮影
静けさが戻っていた沖縄県名護市辺野古で、国による米軍普天間飛行場の移設工事が27日、再び始まった。年の瀬を迎える中での、慌ただしい工事再開。「移設やむなし」と考えていた名護市安部(あぶ)の漁師は、米軍機オスプレイの事故を間近に見て、はっきり思った。「基地はいらない」
沖縄・辺野古の埋め立て工事、約10カ月ぶりに再開
静かな白い砂浜に、穏やかな波が寄せる。名護市安部(あぶ)の玉城(たましろ)昭亘(あきのぶ)さん(77)はこの地で40年以上、漁を続けてきた。若い頃はタンカーの乗組員で「ずっと海の仕事。海人(うみんちゅ)だ」。
子どもの頃、大阪から移り住み、安部で育った。「戦後の米軍の配給で暮らしていた時も、みんな海に出てよ。いっぱい取れたよ」。タイ、タコ、イカ、エビ、ウニ……。沖では、カツオやカジキマグロも釣れる。豊かな海があったから、7人の子どもを育てあげることができた。
1995年、米兵3人による少女暴行事件が起き、その後、普天間飛行場の移設話が持ち上がった。候補地となったのは、自宅から直線で5キロもない辺野古崎だった。
玉城さんは、政府関係者との話…