4歳で亡くなった宮崎花梨ちゃん。病院の屋上に降った雪で雪だるまをつくった(2016年1月、熊本市東区、遺族提供)
熊本地震から1年が経った今も195人が認定を待つ災害関連死。これまでに認められたのは、高齢者や入院患者ら災害弱者がほとんどだ。
居間の壁に、幼稚園の青い園服がかかっていた。その上に飾られた遺影の中で、すまし顔でほおづえをつく宮崎花梨(かりん)ちゃん(当時4)が着るはずだった。
熊本県合志(こうし)市の宮崎貴士さん(38)とさくらさん(38)の次女。先天的な心臓病で闘病中の昨年4月、入院していた病院で熊本地震に襲われ、転院先の福岡市内の病院で亡くなった。
生まれて間もなく「完全型心房中隔欠損症」と診断された。心臓の一部に生まれつき穴が開き、心臓や肺に大きな負担がかかる。決して治らない病気ではない。昨年1月に受けた3回目の手術から回復すれば、その年の4月から幼稚園に通うはずだった。
ところが、術後にかかった肺炎で容体が悪化し、意識がなくなった。回復の兆しはあったが、その矢先に地震が襲った。
4月16日未明の本震で、入院先の熊本市民病院(熊本市東区)は天井や壁が崩落。給水設備が使えなくなり、300人余りの入院患者全員が転院を迫られた。余震が続き混乱する中、福岡市の九州大病院に救急車で向かった。普段なら2時間ほどの道は渋滞し、3、4時間かかった。
到着したのもつかの間、すぐに血圧が低下。「幼稚園に行こうね」。貴士さんとさくらさんは声をかけ続け、交代で看病した。だが21日未明、つないだ手を握り返すことなく、息を引き取った。
葬儀を済ませ、日常に戻っても…