一心寺に遺骨を納め、「骨仏」に手を合わせる参拝者。手前の骨仏は20年前に造られた=大阪市天王寺区、加藤諒撮影
故人の遺骨で阿弥陀如来(あみだにょらい)像の「骨仏(こつぶつ)」を造ることで知られる一心寺(大阪市天王寺区)で6月、新たな骨仏が10年ぶりに披露される。「多死社会」を反映し、昨年までの10年間に納められた遺骨は過去最多の22万人以上。お墓のあり方が揺らぐなか、「死後の安心」を求める人が絶えない。
■納骨堂手狭に…背景
山門をくぐると長い列ができていた。白い布に包んだ骨箱を大切そうに抱えた遺族の姿。順番がくると遺骨を預け、納骨堂で僧侶と手を合わせていく。
「これで安心できます」。奈良県香芝市の雪本美枝さん(87)は10日、桜の木の下で穏やかな表情を浮かべた。5年前に81歳で亡くなった夫の遺骨を納めにきた。
夫は生前、電車を乗り継いで2時間ほどかかる和歌山市内の墓を「墓参りが難しいから」と処分した。年金暮らしで新たな墓をつくる余裕はなく、自宅に夫の遺骨をしまっていた。「どうすればいいかと考えているうちに時間だけが過ぎてしまいました」
一人娘(58)に相談したところ、一心寺に納めれば骨仏になると知った。「私が亡くなっても、ここなら主人と一緒になれます」
骨仏を造るしきたりは、1887(明治20)年、納骨堂が手狭になったために始まった。遺骨を粉状にし、水とセメントを混ぜて造る。宗派を問わず受け入れ、これまでに国内外の200万人以上が骨仏になった。
今回の骨仏は、2007~16年に納められた22万3202人の遺骨で造られた。多くの戦没者が納められた終戦後を超え、過去最多。16万人余の遺骨で造った07年より40%近く増えた。祖先が眠る墓が遠方のため墓参りできなかったり、後を継ぐ親族がおらず墓を守れなかったりした人が目立つという。
60代目住職で獣医師でもある高口恭典(きょうてん)さん(48)は「核家族の先頭を走ってきた世代が、お墓との向き合い方を親族に伝えないまま亡くなっていくケースが多い」と指摘する。